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精確な時間とは

最近バーチャルリアリティなどの言葉もよく使われ、専門用語としては難しい説明もされていて、時に仮想現実とも訳されたりする。また仮想通貨なども話題になっている。国家や中央銀行が関与していない通貨で、私的に使われて、限定的とはいえ決済手段として機能もしている。
仮想現実とは、具体的には、例えば、ジェットコースターに実際には乗っていないが、一定の器具を装着するとあたかも実際に乗っているかのような体験をするというような事例などを言うようである。バッティングセンターなどで機械が投ずる球を実際の投手、例えば大谷投手に見立てて打つのも仮想現実といえるかもしれない。少し乱暴な比較をすると、世阿弥の言う虚実論に比定できるかもしれないが、我々が経験したり体験すること、言ったりしたりすることのどれが真実でどれが虚妄なのかの区別の問題でもあろう。荘子の胡蝶の夢の寓話もそうした問題を考えてのことであろうと思う。
衛星放送の映像と地上波の映像との間には時間のずれが生ずることは多くの人が経験している通りである。ラジオ放送でも、らじるらじるで流す時間と地上波のテレビ画面に表示される時間との間にはほぼ三分ほどの違いがある。らじるらじるの方が三分ほど遅い時間を表示している。とすれば、仮にこのらじるらじるの時刻を信じて電車や列車に乗ろうとすると乗り遅れる危険性があるということである。三分もあれば若い人が走ったりするなら、相当な距離まで到達できるのだから、目的の列車や電車に乗り損なう虞は充分ある。
科学的には、音速や電波の速度、更には光速の問題で説明できるのだろうが、我々が是れが精確だと思っている事象でも、時間でさえ基準にする者の如何によって異なって来るのだから、人為的問題で絶対的価値とか正義を言い募るのも愚かしいことなのかも知れない。
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健康保険制度 [社会問題]

今年1月、東京・上野のアメヤ横町で、1人のタイ人女性が突然倒れました。「雪を見たい」と友人と来日したワンウィサ・ジャイジュンさん(28)。専門家も「生存率は0.1%以下」とする重度の心臓病でした。命を救ったのは、たまたま居合わせた消防士、高度な手術や治療を重ねた医師たち。奇跡的に助かったワンウィサさんですが、1800万円を超える治療費を抱えてしまいました。(朝日新聞ヤンゴン支局長兼アジア総局員・染田屋竜太)
このタイ人の女性が高額な治療費を支払う羽目に陥ったのは海外旅行傷害保険に加入していなかったためだという。海外旅行傷害保険と我々が加入している健康保険と単純に同一視することはできないかもしれないが、保険制度という点では同じである。つまり安全つまり健康なときに万一の時の備えをしておく点では変わりはない。そのように考えると、タイ人女性の事例に照らすと、我々はいざというときに健康保険制度によってその恩恵を蒙っているかがわかる。勿論、保険金を負担して加入しているのであるが、相互扶助制度の一環として極めて有り難い制度である。ところが人口減少と高齢化社会が相乗してこの制度の維持が、今のままでは困難な状況にあると指摘されて久しい。制度上も後期高齢者医療制度なども別個に作られているが、抜本的な対策にはならないことは必至である。
患者は三割負担が原則であるが、高齢者には二割負担とか一割負担の人も居れば、子供は負担ゼロという場合もある。そうした中で、保険制度を維持するためには、保険料負担率を高くするか、治療費負担の率の見直しかのいずれしかない。あるいは、近頃特定の人達から頻りに発せられる「平和ボケ」を推し進めて、民の命を守る方が軍事力増強よりも大切であると、軍事費を大幅削減して、国民健康保険制度維持に当てるという方策も一つの選択肢として考えられる。
北朝鮮の核開発とその兵器誇示を目の当たりにして、頻りに聞かれるのが「平和ボケ」という言葉である。平和に狎れきって日本を取り巻く状況の危機的変化に対応しようとする意識が希薄もしくは皆無であることへの諧謔的ないしは自虐的「警鐘」を込めた発言として理解してよいように思う。そうした言葉を発している人達が尤も安寧な地位に身を措いて、人皆酔うて我一人覚めたりと思い込んでいる発言のように思われてならない。
色々な危機的状況に我々日本人がいるにもかかわらず、そのことに慣れ親しんでいることを「ボケ」という言葉で表現するならば、財政問題も然り、上に挙げた健康保険制度や年金問題なども含めた社会保障制度の制度的維持困難の度合いも然りであって、これらは我々国民内部で抱えている危機的状況である。内部で抱えている慢性的危機的状況については、「財政ボケ」、「健康保険制度ボケ」などとは言わないで、平和が脅かされかねない中で平和を享受していることについてだけは、「平和ボケ」と称している。このような発言は人をして戦争の準備に駆り立てるためのプロパガンダのように思えてならぬ。
健康保険制度の維持の問題に立ち返って言えば、この制度の維持を望む限り、何らかの負担を覚悟するしかないように思える。一律三割負担あるいは、三割五分負担にして、経済的弱者にはかかった費用を返すとかの方策で対応するとか、いろいろ方策はあるだろう。平和ボケと憂国をあげつらったり、安倍一強のどこが悪いと宣う徒輩は、むしろ一強をそうしたことに対して発揮するように諫言すべきであって、権力の擁護に筆舌を揮うのは如何にも底意が透けて見えてしまい、精神の貧しさと思惟の貧弱を覚えてしまう。

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民進党玉木議員「特大ブーメラン生産」の理由とビッグ・ピクチャー [言葉]

森友学園問題、あるいは加計学園問題が報じられて以降、民進党は安倍首相に対して「潔白ならば自分で証明せよ」と求めてきた。そのロジックは、ごく簡単に言えば「こちらにはクロの決定的証拠はない。しかし、怪しいと考えている。もしも首相がシロだというのならシロだという証拠を出せ」というもの。「何もやっていないことの証明」すなわち、「悪魔の証明」に等しいことを延々と求めてきたのである。

 同じ手法を玉木氏に応用すれば、こういうことだ。

「獣医師連盟の意向とは一切関係ないというのならば、その証拠を出せ」

 厄介なのは、首相と異なり、玉木氏は明らかに献金を受けているという点だろう。玉木氏は献金の時期が古いことなどを根拠に潔白を主張しているが、ネット上での氏への批判を見る限り、あまり奏功しているとは言い難い。

「時期が古いからといって、意向を受けていない証拠にはならないだろう。意向を受けていないというのなら、その証拠を示せ」

 結局、こういうツッコミが返ってくる。

 そう、やはりブーメランが戻ってくるのである。
一つの有効なヒントは、「ビッグ・ピクチャー」の視点を持つことだ。フリー記者の烏賀陽弘道氏は、新著『フェイクニュースの見分け方』の中で、こう解説をしている。

「『ビッグ・ピクチャー』とは、ある事実Fがあったときに、『空間軸』と『時間軸』を広げ、その座標軸に事実Fを置いて検証しなおしてみることだ。

 英語では“ You must see it in a big picture”という慣用句にもなっている。『視野を広げて考えてごらんよ』というような意味だ」
言い換えると、何かの事象について考える際に、「それよりも前の事柄」「他の地域、国での事柄」にも視野を広げてみるということである。烏賀陽氏は、これを情報の検証をする際に必要な姿勢として説く。この「ビッグ・ピクチャー」の視点を持つことは、自分自身の言動をチェックする際にもそのまま有効なのは明らかだろう。(デイリー新潮編集部)
この論点というか、問題提起はいろいろと考えさせてくれて興味深い。
アットランダムに取り上げれば、玉木議員が反撃されたことをブーメランという物理的現象を比喩にして表現していることである。分かり易く言えば、玉木議員は加計問題で安倍首相を追及しているが、玉木議員も同じ穴の狢であって、批判の資格があるや無しやという点が問われ、すねに傷持つ玉木議員は安倍首相を裁いたり糾弾したりはできない、ということになるような論の導き方である。
言い換えれば、献金を受けていることが明白になっている立場だからこそ、極めて近しい関係にある安倍首相と加計学園やその理事長との関係について明白にすることが出来ることを許されないということを含意していることになろう。別言すれば、国会は国民に対して事実や事態がどうなっているかを明らかにする場であるということを等閑視して、論点を逸らそうとしているのではないかという疑念を抱かせるように、ブーメラン現象という等しく誰もが認めている物理的事象で合理性が担保されたかのように錯覚させている。そもそもブーメランとて投げ方の巧拙で投げ手に戻って来るかどうかは分からない代物である。
烏賀陽弘道氏の『フェイクニュースの見分け方』を読んでいないが、彼が引用している英語の慣用句“ You must see it in a big picture”という言葉は西洋人の世界観を考えるに当たって興味深い。
[in a big picture]をどのように理解するか。 a big pictureをこの地球と理解するか、或いは宇宙全体として捉えるか。一神教の世界観では神がこの世界を造りたもうたという神の絶対化が根底にある。その神は誰が造ったのかという問いは許さないのがキリスト教の論理である。敬虔なクリスチャンは今でも人間はサルから進化したということは断じて信じない。そのような世界で生きている人々の慣用句の a big pictureとは何かを知ることも大切なように思う。
地球は青かったと評した宇宙飛行士の視点は、正に a big pictureの視点である。荘子は、こちらから空を見ていると青く見えるが、彼方から見たらこちらも青く見えるだろうと言っている。一般に荘子の思惟は絶対的相対主義と言われているが、ブーメランという物理的現象で評するよりも、自己をどれだけ相対化できるかという視点を持つことが大切であるかといえば、問題の本質は分かり易くなるのではないかと存念する。
人の行為の背後には禄利の問題があることなども無視できないことなどなどまだ幾つか駄弁ってみたいこともあるが、些か堂々巡りに陥りかねないのでここらで筆を擱くこととする。
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細野氏の近親憎悪理解 [政治]

民進党の枝野幸男元官房長官は22日、日本記者クラブで開かれた党代表選候補の公開討論会で、同党を離れた細野豪志元環境相や長島昭久元防衛副大臣に対し、次期衆院選で対抗馬を擁立する考えを示した。
 前回衆院選で細野氏は静岡5区、長島氏は東京21区から旧民主党公認で立候補している。枝野氏は「きちっと民進党の公認候補を立てる。けじめをしっかりつけないと党はまとまっていけない」と強調した。(JIJI.com)

この枝野氏の発言に承けて、細野氏は共産党とは共闘できるが、嘗ての同志に対しては、牙をむくというような不快感を内包した反発をしている。民進党の路線とは一線を画したいために離党した細野氏がこのような発言をしているのは「近親憎悪」ということがわかっていないのみならず、遠交近攻なる術策も昔からあることに無知なのではないかと思えてくる。
近親憎悪で離党して離党した党の近親憎悪を批判めいて評するのも如何かと思う。長嶋氏は比例で掬われて議員になっているのだから、離党すれば議員も辞職するのが当然だが、そのことについては不問に付している。細野氏は彼とも連携を模索しているようだが、最初のボタンをどのように掛けて政界に入ったのだろうか。

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「甲子園で起きたキック疑惑」 [スポーツ]

「もちろん、真相は分からない。しかし個人的な見解を言えば、渡部君はワザと蹴ったわけではなく全力プレーの中で起きてしまった行為であると信じている。ただこの騒動が思いのほかに大バッシングを浴び、尾を引く要因となったのは周囲のオトナたちに大きな責任があるような気がしてならない。(中略)いくら渡部君に疑惑が向けられていると言っても「疑惑」はあくまでも「疑惑」だ。ネット上でワーワーとディスられている段階で騒動発生の翌日の準々決勝でベンチスタートとなれば、逆に「やっぱり"クロ"だったから試合に出さないんじゃないのか」と思われてさらなる炎上の火種となることは容易に想像が付いたはずだ。実際に渡部君のSNS閉鎖とベンチスタートは一部のネットユーザーたちによる心ないバッシングの格好の材料となってしまった。(中略)他のチームメートからは「一生懸命プレーした中でああなった。わざとやったわけではない。高校野球ではこういうことはあり得ること。渡部を責めるのはおかしい」などといった声が上がって」(ITmediaビジネス 臼北信行)
「疑惑」を招くようなプレーをしたことが問題なのであって、法律の世界とは異なる正々堂々と戦うことを誓っている競技に疑惑云々とか、真相云々とかを持ち出すことではないように思う。この筆者の意識も高校野球を美化する呪縛に近い意識に囚われた視点のように思える。
既にこのことは卑見を記しているが、問題は、足を故意で蹴ったのでなければ、蹴った選手は一塁手を気遣って様子をみることが咄嗟に出来なかったとしても、試合後にでも部長共々出向いて謝罪することだってできたはずであろう。そうした気遣いがなかったので、スタメンをはずすはめになったのではなかろうか。
「高校野球ではこういうことはあり得ること」というチームメイトのコメントは正に語るに落ちるというものであろう。相手を少々傷つけても構わない。それが一生懸命プレーをしている証左なのだという間違った思い込みが指導者によって植え付けられていることでもあろう。
子供が無垢であるとか、高校生が純真などというのは眉に唾を付けて聞いておく方がいいと思っているが、敢えて言えば純真だから、怪我させるほどのプレーを求められるとそれに従うという意味では素直なのであろうが、そのことはともかく、スポーツ競技は相手がいて成り立つ。戦うためには相手に対する敵愾心もなければならないだろうが、相手から学ぶことだってあるはずだという意味でも、相手に対する敬意も併せもちあわせていなければならないだろう。
序でに言えば、大会新記録の本塁打を打った中村選手のコメントは興味深かった。準決勝勝利後、破られないような記録を作りたいとの願望が先ず語られて、決勝戦をどう戦うかについては二の次であった。決勝戦で敗れた悔しさをプロで晴らすと語っている自負と自信は相当強烈であった。ドラフトで指名されるかどうかもまだ分からない内から指名されると決め込んでいる矜恃は少年らしいといえば、言える。それこそ大人の思惑に振り回されて意中ではない球団に入った清原氏が四番を打ち30本塁打を放った以上の活躍をする矜恃と自信を発揮できるかどうか興味深い。
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大阪桐蔭と仙台育英戦サヨナラの伏線 [スポーツ]

9回二死から一、二塁の走者が出ていて、次の打者の遊撃ゴロの送球を一塁手がベースを踏み損ねていてセーフの判定で、二死満塁で次打者がサヨナラヒットを放って試合を決した。遊撃手が一塁に送球された瞬間スタンドは大阪桐蔭の勝ちを信じて大きな声援が巻き起こっていたし、テレビで見ていてゲームセットだと思っていたら、アナウンサーがセーフだったと叫んで試合の続くことになって、上の結末を迎えた。
何故一塁手が一塁を踏み損ねたのか。遊撃手の送球が逸れていたわけでもないのだから、ベースを踏んだまま捕球する筈である。それが踏み損ねたのだから、これで勝ったと思って、心ここに在らずだったためなのかもしれないが、一塁手が踏み損ねたのは、七回裏の最後の打者の遊撃ゴロが際どいタイミングでアウトになったことにあるのではないかと推察している。この時打者が一塁手の足を蹴って塁上を越えて走っていたため、一塁手は転倒していた。かなりの衝撃を受けていた。
この時のリプレーを見る限り、際どいとはいえ、打者走者は本能的に相手の足を避けて走るはずであるのに、敢えて足を蹴るような走塁をしていたのが、気になった。打者走者は倒れている一塁手を気遣う風もなかった。恐らく指導者は勝つために選手に相当激しいプレーをするように求めている結果だと推測している。例えば、一塁で投手の牽制で走者が帰塁するときなど一塁手は走者の手を浮かせるように強いタッチを求めたりしているからである。
大阪桐蔭の一塁手は足を蹴られたことが意識に残っていて、また蹴られないように足を浮かして送球を捕球しようとしたことが結果として塁を踏み損ねてしまったのだろうと推察している。
余談になるが、大阪桐蔭も仙台育英も全国から能力のある選手を集めていて、特待生制度などもあって、何人かの選手は授業料の免除や減額をうけているだろう。監督も成績如何で色んな制約を受けるだろうから、勝つために相当厳しい指導をしていることは充分推測できる。高校野球のプロ化とも言われる所以である。
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小池都知事の築地市場移転決着とその説明談話 [政治]

小池都知事は、築地市場移転問題の決着について、私が決めたことだから記録にとどめていないと発言している。これは選挙によって選ばれた首長の発言とは到底思えない。専制的独裁的な首長の政治姿勢による説明であって、数を恃み、人気に溺れていると言っても言い過ぎではなく、都民ファーストの「名」とも乖離している。説明責任を果たしていないのみならず、決定の過程を闇の中に隠蔽することと同義である。石原慎太郎元都知事と殆ど径庭のない所業である。
民主的制度に支えられて選ばれた為政者が民主主義の理念に少しでも近づく努力をしようとしない所に日本の政治問題の根の深さがあるのかもしれない。
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「共謀罪」改廃の党方針への明記 [政治]

共謀罪は、自公政権で強行採決され、施行の段階に入っている。この法律に内在する危険性は既に言論人や法曹界からも指摘されているとおり、治安維持法よりもタチの悪い法律だと考える。
国民の自由を抑圧する法律について、当初は政権把持者や立法で賛同した議員はその危険度を薄めて説明するのが常である。国民を欺く政治権力者の常套手段でもあるし、国民も反対した政党も時が経つにつれてこの法律の危険性に対して鈍感になってしまうか、この法律の存在すら忘却の彼方に措いてしまいがちである。
今、政界は民進党を離党した国会議員の新党樹立や国民ファーストならぬ日本ファーストの結党が話題になり、新たな政界再編を志向する動きが目立っている。こうした政界再編の中で、施行されている「共謀罪」に反対したことなど忘れているかのように、ささやかれている解散総選挙の準備に備えているのが民進党、共産党、社民党を含む小会派ではないかと推測する。ごまめの歯ぎしり宜しく、少数勢力の無力を惰性的にかこっているかもしれない。
「共謀罪」の危険性と成立過程の不当性に鑑みて、反対した各政党は党の基本政策に「共謀罪」改廃の政策方針を掲げることが重要である。自民党が憲法改廃を党の方針に掲げているように。
日本ファーストは小池都知事の都民ファーストを母体にして結党するようだが、彼らが党の基本政策に「共謀罪」改廃を掲げるか否かが彼らの結党の理念のリトマス試験紙になると考えている。

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現代の天人相関説 [政治]

長寿台風と命名された台風5号はのろのろと日本列島を縦断して各地に甚大な被害をもたらしている。この台風は太平洋上で迷走して戻って来て九州の南端を通って和歌山に上陸している。
古代中国では天子の政が悪いと天変地異が生じるとい考え方があった。逆に言えば天変地異の現象は天子の政治の象徴として意識されていたことになる。そのために天子が退位することはないが、宰相が異常な天変地異の責任を取って退任するということも屡々行われている。合理的根拠を持たぬ迷信と言えば迷信に違いないが、この考え方は絶対的君主権の抑制にもなっていた。
こうした為政者の政治上の行為の良否と自然界の異常な現象とを結びつけて考える古典的いわば迷信的思考に照らし合わすと、この長寿台風の迷走と安倍政権の近時の迷走振りとを結びつけて考えてみたくなる。強い気流に流されることなく足踏みを続けた5号台風と同じように、安倍一強のどこが悪い!と宣うご立派な某女史などの提灯持ちに支えられた傲慢な政治姿勢が長期に居座って暴威を奮っていたのを反映するように、気流が静かに動いて居座っていた強い台風が大きな被害の爪痕を残すことになったのである。
天意と人為を呪術的に結びつける天人相関説である。
今は知らないが、気象庁長官になった人の人となりが気象に反映すると冗談めかして言われていたとか。
支持率という人の語が天の声というのは、古代ギリシャ以来の箴言であろうが、洋の東西を問わず、権力者の横暴を制御する工夫と知恵は権力に悩まされた帰結であろう。
安倍首相は、この異常な台風という自然現象は、自らの政治の為せる結果ではないか、内心忸怩たる思いに駆られているとでも反省の弁を述べていれば、天を畏れ人の言を畏れる為政者だと思うのであるが…
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京都市長はアメリカに足を向けて寝られない?! [社会問題]

今朝のモーニングサテライトで京都を訪れる観光客は、三月が最も多く年間を通して落ち込んだ季節の対応を企図しているということが取材報道されていた。京都は言うまでもなく日本でも尤も多くの観光客が訪れる古都である。
東京大阪名古屋など日本の主要として米軍の国際法に違反するような無差別な空襲で壊滅的被害を蒙った中で、京都と奈良は空襲を免れた県庁所在の都市である。これはアメリカの知日派文化人が両都市の空襲を避けるように進言したことによると言われている。今ではこうした歴史の事実を忘却の彼方に消し去ってしまっているかのように、京都市長は和装で朝京都の宣伝をしていたが、知日派文化人の顕彰に思いを馳せることも忘れてはいけないことのように思える。或いは毎年日を決めて顕彰の記念日が設けているのかもしれないが。
日本人から視点からだけでなく、この進言を受け入れた軍首脳の度量も評価出来るが、この両都市を攻撃せずとも勝てるとの算段を立てていたと同時に、原爆を投下した罪の償いを意識していたのかも知れない。
これが仮に日本の旧軍部であれば、こうした進言を謙虚に受け入れていたかどうか。恐らく軍部は歯牙にも掛けなかったであろうと思う。

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