So-net無料ブログ作成
検索選択

女性天皇や女性宮家慎重論の論拠 [社会問題]

今上天皇の譲位も法的に決まり、一代限りとするという。その中で、女性宮家に慎重な議論がある。従って女性天皇には否定的な見解が強い。特に保守的立場の人ほどそうした見解を主張する。
その見解の中で、最も興味深かったのは、皇女が異国の男性と恋愛関係などで婚姻して日本の皇室の「純潔性」が失われることに対する拒否拒絶反応だということであった。男女の機微を理解した感情的感覚的尖鋭さには感服するが、皇太子だって異国の女性と恋に陥らないとは言えないだろうにと思った。
欧州諸外国では異国の王室と王室の婚姻などは珍しくもない。日本の皇室について、周囲は万世一系という純粋性と純潔性を異常に意識しているが、そもそもが大和朝廷成立と地位の確立による皇室の形成には歴史学的に解明されていないことが多いとされる。
日本民族の形成も大和民族の純粋性を言い募る保守的論客が多いが、縄文人と弥生人の融合問題、日本列島にたどり着いた太古の人が大陸や朝鮮半島更には南方の諸民族の問題、アイヌ民族との関係などなど分からないことが多々ある事だけが分かっているというのが歴史的事実であって、いってみれば、日本列島で文化を形成してこの島で生活してきた人々は諸民族や諸種属の融合した結果であることだけは古代史研究者の到達している成果だと言える。
諸民族や諸種属が融合して形成されて大和民族と称せられる民族による日本列島での秩序形成に皇室が深く関わっていることだけは間違いの歴史的事実であって、その中で日本独自の文化が形成されたというのが歴史の実相であろう。保守的論客が恣意的に考えて理想化している皇室や大和民族論などは為にする空論に過ぎないと言えるだろう。
動植物でも外来種が列島に入ってくると在来種や固有の動植物を追いやるように、古代国家形成にあってもそうした列島で生きていた人々を追いやったり、或いは諸民族と諸種属の混融があったのだろうから、この変革の時代に新たな日本人というか日本国籍を持つ人々の次なる形成誕生がじわじわと出来しつつあるのではなかろうか。
視点を変えれば日本人が異国に住み着いて活躍しているのも日本人の多様化の顕現でもあろう。
そうした中で国民統合の象徴としての天皇の位置は一層重みを増すであろう。それを皇室の純粋性に拘ったりあるいは男系の天皇だけに固執している思想的立場こそが皇室を政治的に利用しようとする証左でもある。系譜を守ることと祭りを怠らずしておればよいのだという所に保守論客の皇室を権力支配の道具と見ている本質が露呈している。天皇を蔑ろにする順逆という所以である。
そうしたことを考えると皇室の維持を考えるに当たって、側室制度でも導入するならいざ知らず、女性天皇や女性宮家の創設に否定的な見解は、天皇制はいらない、という見解と紙一重の思考になるのだろうと思われる。

為政者の両価的政治姿勢 [政治]

菅義偉官房長官は内閣の番頭である。従って、身を挺して首相を庇おうとするのは当然と言えば当然である。しかし、ここ数日の菅義偉官房長官の発言は目に余るほどである。前川氏の証言については、勝手に発言しているだけだとか、事実を検証しようとする姿勢の欠片もみせない。見方によっては、安倍首相の不利、不都合、不法性、更に言えば、恣意的な権力政治とその政治姿勢を身を以て暗々裏に晒しているように思えるほどである。ひょっとすると、官房長官は、安倍首相の政治力を殺ごうとしているのかもしれない。首相に身を委ねつつ、つまり身を捨てる姿勢を示しつつ、一面では安倍首相と距離を置こうとする態度のようにも思えるのである。
昨日の毎日新聞の記事によると、安倍首相は加計学園の監事を務めて、年に14万円の報酬を得ていたが、昔のことと自ら証言している。
加計学園は私立学校の法人として私学助成を受けているはずである。国家の助成金を受けている場合、その法人組織は、学校法人に限らず特定の政治家個人や政治団体に政治献金をすることは禁じられているはずである。
安倍首相が務めて得た監事役としての報酬は形式上は政治献金ではないとしても、ある意味では国庫補助を受けている法人からの寄付の違法性を忌避するための一種の脱法行為に極めて近いことは間違いなかろう。そのような脱法行為と取られかねない過去を国会の場で、加計学園との関係があったことをさも正直に自白する短慮を菅義偉官房長官は見透かしているのかもしれない。

この意見は共謀罪適用対象か。 [政治]

今日の毎日新聞の声欄に「政治劣化に抗議の声を」と題する以下の投稿があった。
「学校法人・加計学園(岡山市)の獣医学部新設問題で、「総理のご意向」文書が存在していたと述べた文部科学省の前川喜平前事務次官の発言に対する、菅義偉官房長官の態度は実に不愉快である。
 自分たちの汚点を隠すために「天下り問題」などを強調し、加計学園に関わる不正を告発した前川氏を”抹殺”しようとする所業は許せるものではない。自分たちに都合の悪い情報は秘匿し、都合の良い情報だけを流しているようだ。こうした政権に民主主義国家を担う資格はない。直ちに退陣すべきである。同学部新設に関与した人物に対しては証人喚問を行い、全てを明らかにすべきである。
 それにしても自民党の国会議員は安倍晋三首相や菅官房長官の顔色をうかがうだけで、国民の代表として選出されていることをどれだけの議員が自覚しているのだろうか。我が国の政治がこれほどまでに劣化していることを国民は認識し、不正をただすために一斉に声を上げるときである。」
 この意見を家人が声を出して読み聞かせてくれたとき、思わずこの意見は共謀罪の対象になるのと違うかと感想を述べた。国民に政府転覆を指嗾していると強引に解釈できるかもしれないのである。流石に現時点では「共謀罪」はまだ成立していないので適用しようもないであろうが、参議院で可決、法案が成立すれば、こうした意見は監視の対象になり、投稿者の身辺もチェックされないとは言えない。
この声を載せた新聞も共謀に荷担したとの科で発行停止処分がないと誰が断言できるであろうか。
今日から始まる参議院の同法の審議で、質問する議員は、この声欄の意見を紹介し、政府の見解を質すことである。
安倍首相や菅義偉官房長官、更には周囲官僚のやっていることは正に戦前の大本営発表に類する情報操作そのものである。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

燻っている交流戦廃止論 [プロ野球]

周知の通り、そもそもセは交流戦の継続に否定的。もうけが少ないうえに、戦績もパの独壇場で、「本音を言えば、今すぐにでもやめたい」(セのある球団幹部)という声がある。交流戦が導入された2005年から2年間は36試合制だったのが、07年から24試合に減り、15年からは今の18試合制になった。セの意向が強く働いた結果だ。
「ドル箱の二刀流大谷がいるからまだ、営業的なマイナスに目をつむっていられるが、その大谷がいない今年の交流戦はどうなるか。観客動員、売り上げをきちんと精査することになる」とは前出の球団幹部。

 その結果によっては、セ側からさらなる交流戦の縮小が提案されるのは必至だ。いや、大谷には今オフのメジャー挑戦の可能性が残されている。仮に海を渡れば、縮小どころか、廃止の声がいよいよ大きくなる。(日刊ゲンダイ)
今朝の日経新聞でも「選球眼」で浜田昭八氏も交流戦問題について上のような趣意に添うような論を展開しつつも、多様なプロ野球の多様な有り様を見られる魅力に言及して交流戦の存続を願う方向で論じている。中でも、ドラフトでくじ運がパの側に味方していることにも触れて、力量面でのパの優位が見られているともいう。またここ五年に限っても打力面では圧倒的にパの打者が優位を保っている。ヤクルトの山田選手が一昨年に首位打者を取ったのが唯一の例である。昨年などは待機中の城所選手が首位打者を取るほどであった。
このような彼我の実力の差の問題は別にして、ドラフトで有力選手がくじ運も手伝ってパの側に指名されているという大勢は興味深いと以前から思っていた。ちなみ言えば、巨人のくじ運が悪くて菅野投手も一年浪人生活を送っている。つまり興業面を含めてパの劣勢が少しずつ変化しつつある前兆ではないかということである。
パリーグ指名打者制度を導入してパの野球が変わった。投手力も打力も向上した面がある。社会人野球では指名打者制度が既に導入されて久しい。のみならず選手にとって働く場所が一つ増えることも大きい。セリーグはパの後塵を拝するのを潔しとしないので、指名打者制度導入をしたくてもできない。得点力不足に悩む今年の巨人など指名打者制度があれば、村田選手の打力と守備力を生かすことも出来たろう。
プロ野球だから、興業面の成否は死活問題であるが、目先の利益や狭い視野だけでプロ野球興業に取り組んでいると没落の道は広いということを知るべきではないか。その予兆をドラフトでのくじ運に見るのである。
交流戦を廃止しても、興業面でも行く行くはパリーグに追いつかれ、実力面では差が開いて十数年後にはセリーグのマイナーリーグ化が生ずるかも知れない。あるいはチームをたたむ球団が何球団か出て来て一リーグになるかもしれない。
セリーグが交流戦廃止を望むなら、パリーグは、セリーグとの交流戦にしがみつかずに、韓国や台湾、更には豪州との間で交流戦を組むのも興味深いのではないかと思っている。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

阪神の黒ユニフォーム [プロ野球]

海老蔵は「さぁカレーライス」と題した投稿で、「どうでもいいけど 昨日の阪神ユニフォームカッコいい!」と記述。黒虎ユニホーム姿の糸井嘉男外野手(35)の画像を貼り付け、「カッコいい…」と繰り返している。阪神が23日に着用した黒ユニホームは1948、49年の大阪タイガース時代の復刻版だ。(デイリースポーツ)
昨夜の巨人阪神戦をテレビで見ていて、昔のユニフォームを着用していたので、セパ両リーグに分裂する前、今は跡形もなくなった西宮球場の右翼側の外野スタンド小学生時代に見た阪神の選手が着ていたことを思い起こした。確か阪神と南海の試合だったと記憶する。
阪神はダイナマイト打線と言われて、藤村選手は言うに及ばず、分裂時に毎日に移籍した別当や土井垣、本堂の各選手らが活躍していた。阪神は確か梶岡投手が投げていて、南海は下手投げの武末投手が投げていたように記憶する。どちらが勝ったのかどうかの記憶はないが、南海では山本監督や木塚遊撃手がプレーをしていた。
半世紀以上も前の苔のむしたようなことを言っても、話の通じる人も殆ど居ないことだろうが、思えば、この黒のユニフォームはダイナマイト打線をイメージしていたのかも知れない。
今の阪神打線は、福留、鳥谷、糸井選手と左打者が主力であるが、当時の阪神は藤村別当、土井垣、本堂選手と右打者が主力であった。左打者では金田外野手がいて、呉選手もいたかも知れないが、定かではない。
昨夜着用していた黒のユニフォームが格好いいとも思わなかったが、この黒のユニフォームの着用がこの日衆議院本会議で強行採決された「共謀罪」の行く末を卜したものでないことを祈りたい。
治安維持法下で弾圧された創価学会が再興して、それを母体とする政治団体からの最初の国会議員が東急フライヤーズの白木儀一郎投手と上林捕手だった。大下選手なども含め、西宮球場で彼らのプレーを見たことも覚えている。後で知ったことが、彼らはベンチの中でもチームメイトに折伏に之努めていたとか。
公明党は「共謀罪」成立に荷担賛同しているが、まるで戦前に創価学会にさえ向けられた思想や宗教弾圧がおとぎ話の世界の出来事であったと勘違いしているのではないかと思うほどであるが、思い過ごしでなければ、杞憂でないことをこれまた祈ろう。

核兵器保有国家の核兵器廃棄は皆無 [政治]

北朝鮮が核兵器を保有して大陸間弾道ミサイルの技術も高度化しているという。核実験では日本海の排他的経済水域外に着弾させたりして、北朝鮮当局は、我が国も攻撃の対象になりうると公言している。
日米韓の首脳は、安保理決議違反だと言って厳重にして断固たる抗議を北朝鮮にしたという。抗議ですんなりと核兵器の実験や脅迫を止めるとは到底思えない。
現在、世界の國で核兵器を保有している國は、米露英仏中国インドパキスタンの七カ国と公然の秘密としてイスラエルも核保有国だと言われる。
国際世論がいくら核兵器の廃絶を呼びかけても、これらの国々で核兵器の廃棄を表明し実践した國はない。先日の国連での核兵器廃絶の条約ですら日本は調印しなかったことは差し置いても、一端核兵器を保有した北朝鮮が核兵器の製造を止めたり、廃棄をしたりするとは到底考えられない。核兵器保有の脅威を盾にとって国際社会に挑戦しているのが外交的姿勢である。
アメリカの国務長官も北朝鮮に対する武力を伴う制裁を実施すれば、想像を絶する悲劇を招くことになると発言している。窮鼠猫を噛むような事態を将来させない対応に外交政策の舵を切ったのかも知れない、と推察したりしている。
さすれば、核兵器を保有しているという儼然たる事実を受け入れて北朝鮮に対応するのが、彼らに核兵器を使わせない外交的方策になるのではないかと考える方がよほど現実的対応のように思える。
我が国の憲法が如何なる戦力も保持しないと明記する中で、自衛隊を創設していることを半世紀に及んで容認してきているのと同じような現実的対応である。理念としては、核兵器の製造保有は容認できないが、事実としてはその保有を受けとめざるを得ないということである。国際社会、国家の安全保障に重大な影響を持つ東アジアの中国、韓国、日本が叡智を集めて対応する事態に立ち至っているように思える。
分断国家の一方が核兵器を保有している時、その統合はひょっとすると朝鮮民族にとって誘惑に駆られることかもしれない。このことは次の問題であるが、上記のことを前提にして我が国までもが核兵器保有の誘惑に駆られる短慮が幅をきかすようになることを危惧するが、原発すら廃止できない政治状況をみるとこの危惧は恐怖に変わるやも知れない。

北朝鮮と韓国の統合 [政治]

韓国の新大統領が誰になるのか、色々取り沙汰されている。
新大統領が北朝鮮の金正恩と気脈を通じて核兵器を保有したまま、朝鮮半島に朝鮮民族としての統一国家を建立したら、どのようになるのであろうか。トランプ大統領は、統一された朝鮮半島に建立された朝鮮民族の統一国家に、米国の安全に重大な影響を与えるとして核攻撃を加えるのであろうか。我が国はその時どのようにアメリカや統一された半島国家に向き合うのであろうか。勿論中国の反応や対応も考慮しなければならない。
朝鮮半島に核兵器を保有した統一国家誕生の悪夢の問題はさておいても、米国の艦船の護衛を担わされた自衛艦は次には米国の艦船に変わって先頭になって最前線に立ち、米国の艦船が日本の自衛艦の護衛を担う日が来るのはそんなに遠くないように想定する。日本が米国の属国でないことの証左として、安倍政権ならば、否自民党政権ならば独立国家の矜恃だとして嬉嬉として受け入れ、国民を巧妙に誘導する報道機関は同盟関係とはそのようなことだとして受忍するための論調を展開するであろう。
いろいろ想像を逞しくすると、日本国の首相は、真に独立国家としての日本を統治し、国民の安寧を守ることが如何に至難な権謀術数に長けた人物でなければならないか、を考えてしまうのである。
米国債すら自由に売れないようにしてしまった歴代の自民党政権を継承する安倍首相がその任に当たるに足る宰相とは到底思えない。米国の意に従うことに腐心して、恰も米国の五十番目か五十一番目の州として認められるか、自治領としての地位を得て、富だけは本国に奉納するかの選択をしているように思われるのである。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

自衛隊の憲法九条への明記の意味する所 [政治]

安倍首相は、憲法改正を政治家としての最重要課題の一つにしているという。
常々疑わしく思っているのであるが、首相は率先して憲法を守るべき立場に居る行政の最高責任者である。その当人が憲法改憲に気炎を上げているのには違和感を覚えてきた。
自民党総裁として憲法改正を云々することは政治家として政治信念の吐露であって何ら問題はない。報道機関も政党政治によるにもかかわらず、原理問題を等閑視して、首相が改憲を主張することが当然のような記事を書き放送している。
こうした混同は、安倍首相をして自ら立法府の長と言うとんでもない発言をさせる要因でもある。議会の長は、何故この失言を問題視して、国会として厳重に抗議をし、議会で謝罪させなかったのか。衆参両院議長の職務怠慢と職責意識の欠落と言ってもいいだろう。
政治家には、政治家活動の自由と思想信条の自由は最大限尊重されなければならないことは論を待たない。しかし、行政府の長たる首相は機関の長として現行法、まして憲法を誰にもまして守る責任を負っている。公務員は憲法を守ることを誓約して任に就くことになっているではないか。
三権分立の基本的対応はおろか、意識もない、つまり権力を掌握した者は野放図に何でも出来るという意識が根底にあり、それを周囲も容認し、かつ批判もしない。恰も絶対君主の持ち主の振る舞いである。
その当事者が、自衛隊を憲法九条に明記すると主張する意図がどこにある。このことを推し進めて考えると問題点は明白ではなかろうか。行き着く先が徴兵制の導入であることは論理的帰結になるのではなかろうか。
制服を着た自衛隊員が地方の私鉄の駅構内で机を並べて自衛官を募集しているのが現状である。さすれば、一端事が生じた時にどうなるかは考えてみるだけで事態の展開は見えるのではなかろうか。憲法に明記された自衛隊に自衛の義務を果たすために、国民は自衛の義務を負うとの大義名分を持ちだして、不足する自衛隊員の補充に関わる規定を立法化することは容易に想定内に入る事案であろう。
日経の論説主幹は、我が国の憲法は他国に比べて「低い『規律密度』と称して、流石に九条に自衛隊の明記をすることまでは主張しないが、理念を掲げるのが憲法であるとすれば、憲法に規律密度を濃くすることを求めるのは、抜け穴を設けると同義だという陥穽を意図的に無視しているように思われる。
大日本帝国憲法が、天皇は神聖にして侵すべからずと規定する一方で、三権を掌握するという神聖性を限定するにも拘わらず、前者、つまり天皇の神聖性を巧みに利用する呪術的憲法として運用されたと同じように、主権在民の現行憲法でも選挙制度の欠陥は無視して、否巧妙に悪用して多数勢力を制した政権与党によって選出された首相は独裁的権限を行使できると独断的に思わせようとして呪縛を強めているのが自民公明党の政治的姿勢ではないか、と考えている。
ついでに言えば、規律密度の濃い憲法を規定せんがために、自衛隊を憲法九条に加えるならば、自衛の義務を果たすために献身するのは、この規定導入に積極的に賛同した自民公明党の幹部の子弟、更にはその支持者が先ずその責務を果たさなればならないとの一項を加えた憲法改正案を出すべきである。それが國を自ら率先して守ることを求める信義であり、国民の安心と安全を守る政治である。国民を権力者の恣意に任せた盾にしないための保証は担保されなければならない。
「民信無くんば立たず」の言に従えば、「蔓草すら猶お除くべからず、況んや云々をや」と言って然るべき権力把持者の許で我々衆庶は手足の置き所を失いかねない状態なのである。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

この親分にしてこの子分あり [政治]

更迭された今村前復興大臣は二階幹事長の派閥の会合で暴言を放った。その二階幹事長は暴言の問題を報道の質の問題にすり替えて擁護したつもりになっている。震災地で苦難を強いられている人々への心遣いなどさらさらないことを二階幹事長も暴露しているようなものである。政権与党の幹事長がこのような政治姿勢であるから、復興の道も日暮れて道遠しというように被災者が不信を募らすのも宜なる哉であろう。
安倍首相も震災者の心情を逆なでするような不適切な発言だったと言っているが、五輪招致の際の原発事故は完全にアンダーコントロールされていると嘯いていたのだから、その言葉も被災者に響くものではなかったろう。そもそも今村氏のような人物を任命したところに復興対応の姿勢の軽さが見て取れるし、事実をねじ曲げ、覆い隠してまでオリンピック招致に情熱を傾けたところにその政治感覚と政治運営の本質があるのだということなのであろう。
今村氏は本心から謝罪しているのであれば、議員辞職をして福島岩手宮城県でなくても、甚大な震災を蒙って今なお苦しんでいる隣県熊本の被災地のために粉骨砕身して政治家としての再起を図るべきであろう。そのことが大臣まで務めた為政者としての「復興」ではないかと存念する。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

かしこまりました。 [言葉]

漢字表記すると、「畏まりました」となる。友人と訪れた某ビヤホールでのこと。
我々の注文を受けた若い女性店員が上記の言葉で応答したので、ここの店での接客教育による言葉遣いなのかどうかを尋ねたら、前勤めていた店で使っていた言葉だとのことであった。
そんなにいろいろな店に顔を出している訳でもないので、この言葉は普通に使われているのかもしれないが、客に対する言葉としては行き届いていると感じた。漢語の響きを残す「承知しました」とも違い、また「承りました」とも異なる床しさが感じさせた。英語では、Yes,sir. Yes ma'am. とか、Certainly.と表現するようだが、平板な響きを感じるが、この「畏まりました」というのは、語感からみても客との距離を保ちつつ、注文を受けた有り難さをも表していて、そこはかとない床しさを感じさせる表現のように思われる。
およそ半世紀も前の事になるが、十代の少年に「恐れ多い」とはどういう意味かと問われて面食らった事があった。そのことを恩師に言うと笑いながら「それこそ恐れ多いことですね」と返答されたことがあった。
何となく使って分かったつもりでいたが、よく考えてみれば、「恐れ多い」というのも「畏まる」というのも、難しい言葉である。神聖なるもの、優れたもの、或は疎かにしてはならないもに対して向き合うときの心的境地を表現するものであろう。向き合う側からすると己の存在を向き合うものよりもより小さなものと認識している心的状態であると言えるであろうか。
今朝の朝刊の雑誌の広告面に「田母神、只今、晴レテ帰還シマシタ!」「不徳を恥じるも私心なし」との独占手記が掲載されているとあった。公職選挙法違反容疑で逮捕され、170日の勾留が明けたことをこのように表現している。公選法違反は不徳ではなく、違法行為であって犯罪である。公職選挙法違反を犯しながら晴れて帰還したもないと思う。この程度の法や徳の理解で航空幕僚長の任についていたのであろうか。彼の理解では、公職選挙法は法ではなく、選挙運動は徳で対処すべきこということになろう。不徳というのだから、公職選挙法に違背したことは認めるが、法的には違反していない、少なくともとるに足らない些末な問題だという論理になる。横領罪は不起訴とあるから、公選法違反では起訴されているのだから、紛う事なく法律違反を犯しているのである。言ってみれば、徳に悖り、法にも触れた行為をしたことを自ら認めていて、どうして「晴レテ」と言えるのかそれこそ、「恐れ多い」知性と感性である。世間ではこのような所業は、尊大きわまりないとか厚顔無恥というのではなかろうか。こうした意識や感性は、更迭された復興担当大臣の東北大震災に対する暴言と通底しているのであろうか。
ついでに申せば、この同じ雑誌の広告に、某有力大学の名誉教授が<教育勅語「一旦緩急あれば」でよいのです>という表題が載っている。推察するに、緩急という漢語表現は、多少のように対になる熟語の構造で片方の少の字に重きが置かれているのと同じように、緩いには意味の重点がなく急なる字に意味があるということを問題にされているのではなかろうか。もしこの論が、教育勅語の中身の思想を問題視せずに表現の問題だけに焦点を当てて、教育勅語それ自体の評価に触れていないとすれば、緩急を誤解したのと同じ事になるであろう。
名誉教授は、学校教育法上認められている称号であるが、著者自身の関わりのないところで、雑誌の編集者が、内容の権威付けに用いているとすれば、これまた「恐れ多い」所業である。
「虚しくは名有らず」ともいうので、名も重要な表徴であるが、もっと重要な事は内容であり、中身であろう。東京都民が知事選びに不明であったのはその最たるものの一つかもしれない。