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第三の男 [映画]

暮れにテレビで第三の男を久しぶりに見た。
ウン十年前に、この映画が封切られてから二、三年かして、ティター演奏によるテーマ音楽が話題になっていたり、ラストシーンも注目を集めていたこともあり、かつ、評論家諸氏が高い評価をしていたこともあって、わざわざ尼崎映画館まで足を運んで見た。それがこの映画の最初の鑑賞であった。
最初の鑑賞では、筋書きも含めて十分理解できない映画であった。それでもそのテンポの良さには惹きつけられて、その後、この映画が上映されているのを新聞広告でみては、見ること十回を越えるに及んだであろう。そのたびにこれぞ映画だという感慨をもっていた。
その後、テレビでも何度か見ているが、見る度にその秀抜な映像に魅入られるのが常である。だからストーリーは言うに及ばず、細かいところまで記憶に残しているのだが、今回見る機会を得て改めて細部に至るまで計算されたキャロル・リード監督の卓抜した演出とロバート・クラスカーの映像の巧みさを認識した。映画史上最高傑作の作品だという評価は恐らく揺るぎないものだと思っている。勿論凡ての映画を見尽くしているのではないから、おこがましいことは言えないが、この映画を見ずして映画を語るなと言っても過言ではないであろうと自負している。
第三の男のハリー・ライムが観念してホリーに銃弾の引き金を引かせた所にこの映画の思想が凝縮しているのではないかと思っている。古典的な表現に従えば、広義な意味で「大義親を滅す」ということになるのであろうか。
邦画では世界の黒澤監督の七人の侍が最も気に入っている、優れた映画作品であると勝手に思っているが、この映画は封切りされて暫くして地方都市で上映されたときに見ているが、第三の男を見る前に見ていることになる。中休みのある大作であったが、その後見る度に黒澤監督の思想性を読み取るようになった。かつてここでも記したと記憶するが、今にして思えば、自衛とはどういうことなのかということを原理的に示唆する作品であったと理解して間違いないと思う。
朝鮮戦争の頃、警察予備隊が自衛隊に変貌して、自衛隊の基地があったこともあって、学生割引と同じように自衛隊員割引があった頃である。
この映画のモチーフは、恐らく墨子の思想に拠っているというのが、卑見である。
墨子が非攻(非戦論)の思想を説くなかで、自衛の為の武力行使は容認して、墨家集団として強大国に敵対して墨守と称されるほどの自衛戦争を戦い抜いた墨家集団の歴史にヒントを得たものであったろうと大胆な推測をしている。

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