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身を捨てきれなかった小池都知事 [政治権力とスポーツ]

「あっちだ、こっちだと言って、時間を浪費したとも思っていない」。16日の定例記者会見で、2020年東京五輪・パラリンピックのバレーボール会場の「有明アリーナ」(江東区)新設を発表した東京都の小池百合子知事は、見直しを提案した3競技会場が当初計画通りの場所で決着したことについて、こう強弁した。その上で「全体のコストを下げられた」と繰り返し、成果を強調した。(毎日新聞)
小池都知事が、記者やメディア関係者から、オリンピックの開催規模の縮小や経費節減の目論見が政治的な駆け引きや包囲作戦で頓挫してしまったことを批判されている。つまり初めから出来もしないことをぶち上げて結局は思い通りに出来なかったことへの批判である。
メディア関係者は、東京オリンピック開催を招致するに当たっていかがわしい金銭が動いたことなど全くほおかむりして、経費を削減する努力を恰も無駄な努力であるかのように厳しい指摘を都知事にしている。
リオオリンピックの閉幕に都知事に当選した小池氏が出掛けて五輪旗を受け取ったのを見て、副知事を派遣させておけば良かったのではないかと思った。なぜならオリンピック開催は前任者や元知事などのしがらみに縛られないようにしておくべきだったように思うからである。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれという知恵に従っておれば、もっと違った展開に持ち込めたろうと思うからである。身を捨てることを忘れたので、つまり色気多ければ恥多しということになって、頭の黒いネズミをあぶり出しただけで満足しているように受けとめられてしまったのである。
もっと粘りに粘って、いざとなれば、オリンピック開催を返上しても良いという程の強い意志を察知させるような権謀術数を用いていたら、小池氏はもう少し戦果を上げていたのではなかろうか。
勝海舟は、金も名誉も地位も要らぬと言う人物が一番扱いにくいと言っている。金は削りたい、名誉は守りたい、地位は失いたくないという意識が災いしたのであろうか。金は使い放題、責任は明確にせず、地位だけは守りきって生き延びた某知事よりは都政改革の意識は明確になのだろうが、知事の報酬を半額にしたことなどは雲散霧消してしまっているのではなかろうか。

森会長・小池都知事・林横浜市長 [政治権力とスポーツ]

「大山鳴動してネズミ一匹」と例えた記者に「ネズミどころか、大きな黒い頭のネズミがいっぱいいることが分かったじゃないですか」と反論する一幕もあった。

 見直し対象の3会場のうち、ボートとカヌー、水泳の2会場は、11月29日の国際オリンピック委員会(IOC)などとの4者協議で、コスト削減した上で現行案を採用することで決着。バレーボール会場は結論を持ち越したが、小池氏がこだわる既存の横浜アリーナ(横浜市)の活用は難しい情勢だ。(時事通信)

森会長のイケズな小池氏への難癖の背後には、森会長一派からの林横浜市長への根回しがあったことを充分うかがわせる。横浜市の有明アリーナ利用についての返答も森会長が絡んでいることを充分推測させると解するのはそれほど歪んだ理解ではないだろう。
五輪開催は都市が主体になるのが原則のようだが、五輪担当大臣も置き国家予算も投ぜられるように國としても招致していることを考えると、横浜市が大局的見地から有明アリーナの利用に積極的意向を示しても良かっただろうし、そのことが横浜市の声価を高めたのではないかと思うが、林横浜市長の次期選挙への思惑なども絡んで、投げられたボールを巧みに変化させたのだろうと思う。小池氏も事前に手を打っていたのだろうが、巧妙に体をかわされたのであろうか。
それにしても大口を開けて黒い腹の底を見せたのが、森会長だったように思う。小池氏に泰山鳴動云々の質問をしたのもひょっとすると森氏の意を受けた記者なのかも知れない。
小池氏も頭の黒いネズミという比喩ではなく、頭は白いが腹が黒いネズミというべきだったように思う。

五輪会場問題 [政治権力とスポーツ]

東京都の小池百合子知事は「都民ファースト」の目線で五輪大会経費の削減と「復興五輪」をキーワードに競技会場計画の見直しを仕掛けた。経費削減では国際オリンピック委員会(IOC)と思惑が一致して会場整備費の圧縮に一定の道筋をつけた格好だが、目玉の「長沼ボート場」(宮城県登米市)での競技開催は断念を強いられた。バレーボール会場の決定はクリスマスまでの先送りが認められたが、提案する横浜アリーナ(横浜市)の活用はまだ不透明な情勢で、小池氏は正念場を迎えている。(中略)
「あとしばらく時間を頂戴したい」。小池知事は、既存施設の最大限の活用などをうたったIOCの「アジェンダ2020」を持ち出して横浜アリーナ案の経緯に触れ、確認したいことがあるとして、クリスマス時期まで結論の猶予を求めた。IOCのジョン・コーツ副会長を含め了承されたが、森会長は「ちょっと私からいいですか」と切り出した。

「今日の時点で有明か横浜か結論が出せない。クリスマスまでにまだ何をおやりになる?」(産経新聞)
テレビで両者のやりとりが映されていたが、森会長のイケズな物言いにはこの人物の人間性が露見していたのではなかろうか。アスリートファーストとというのは、正に利権第一だということを言っているようなもので、少しでも経費の負担を軽減させようとする意思の欠片も見えなかった。
五輪の本部でも二兆円以内でも巨額である、経費が出来るだけ懸からないようにといっている。そもそも二兆円という金額の意味すら分かっていないのがJOC委員は言うに及ばす森会長や施設の充実を要求するスポーツ団体の面々である。生まれてから死ぬまで一から勘定して2兆まではとても数えられる数ではないのである。二兆円と一言でいえば、一、二秒もかからないが。
一時間は3600秒で一日は86400秒である。百歳まで生きても、31億5360万秒数えなければならない。何人かが集まって数えてやっと2兆という数字に達するのである。
一万円札で二兆円を数えるとして、銀行のベテラン行員でも相当な時間を要するだろう。森会長が自らで数えるとなると、一日や二日で数えられないだろう。一億円を千円札ででも数えてみるとよいのである。血税というのはそれほど思いものである。それをいとも簡単にというより無神経に人のものであるから何の痛みも感じずに平然と施設建設のことが言えるのである。イケズという所以である。
小池氏もいざとなれば、都として五輪開催を返上するくらいの対処をすべきであろう。一度ガラガラポンをすることで新たな為政の道が開けるのではないかと思う。
もともと大震災の復興を後回しにして、復興税だけは徴収しているが、五輪を誘致したところに森会長や石原知事などを蔓延らせてしまったのである。蔓延っていた蔓がますます蔓延ってしまったのだろうが。

森会長の発想と武装集団の発想 [政治権力とスポーツ]

脱出した人たちによると、人質は武装集団にイスラム教の聖典コーランを暗唱させられ、できない人が襲われたという。(毎日新聞)
「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」。東京・代々木の体育館で3日にあったリオデジャネイロ五輪の代表選手団の壮行会で、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が来賓のあいさつでそう述べた。(朝日新聞デジタル)
森会長も選手に向かって、この程度のある意味では失礼な要求を出す前に、東京五輪招致で費消した招致費用の明細を明確にJOC会長に出すように深刻に言うべきである。また、森会長はモスクワオリンピックの不参加問題ではどのような立場に立っていたのであろうか。代表選手団長はそのことを質してみることである。
森会長は代表選手一人一人に国歌を歌えるか否かをテストでもするのであろうか。歌えない選手は代表から外すのであろうか。この発言に対して一人くらい抗議する選手が出て来てもよいように思うが。「森テロ」の攻撃の標的にされないように、必死になって「君が代」を暗唱するのであろうか。そもそも森会長は君が代の本来の意味が分かっているのであろうか。それにあのメロディーは戦いを鼓舞する曲ではないのであるから、戦意も穏やかになるのではなかろうか。何よりも、君が代を唱うためには優勝しなければならぬ。テストをするなら、金メダル確実と目される選手だけを対象にしてテストでもするとよい。標準記録をやっと達成して代表になった選手にしてみれば、君が代を暗唱する時間を惜しんで、練習に励みたいのではなかろうか。
大相撲の千秋楽には、君が代を唱われていて、子供が君が代を大相撲の歌だと言うような挿話が語られている内に、プロ野球界でも試合前に国家(君が代)を唱和させて観衆に起立まで求めるようになって、今でも続いている。当時、国家主義盛んな戦前でも、スポーツイベントの前に君が代を唱わすようなことはなかったと言われたものである。
今回の国政選挙は、真の争点隠しのために、経済問題を第一にしてアベノミクスの成否を野党なども問題にし、あるいは護憲問題に焦点を当てているが、森会長の発言に端的に表れているように、自由と人権を守るためか否かを争点にするのが最も分かり易いと思うのだが、そうした争点の集約化ができていな所に野党共闘の落差があると思っている。
自由は一度失うとそれを取り戻すためには大変なエネルギーがいるのである。その前に自由を蔑ろにしていると自由平等博愛を理念とする欧米的価値観の世界からは見捨てられていくことを懼れる。
ただでさえ人口減少という「国力」の脆弱化の中で、中国程の巨大市場を持たない日本が世界第三位の経済大国の地位を失うのもそれほど遠くないかもしれない。
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