So-net無料ブログ作成
検索選択

為政者の両価的政治姿勢 [政治]

菅義偉官房長官は内閣の番頭である。従って、身を挺して首相を庇おうとするのは当然と言えば当然である。しかし、ここ数日の菅義偉官房長官の発言は目に余るほどである。前川氏の証言については、勝手に発言しているだけだとか、事実を検証しようとする姿勢の欠片もみせない。見方によっては、安倍首相の不利、不都合、不法性、更に言えば、恣意的な権力政治とその政治姿勢を身を以て暗々裏に晒しているように思えるほどである。ひょっとすると、官房長官は、安倍首相の政治力を殺ごうとしているのかもしれない。首相に身を委ねつつ、つまり身を捨てる姿勢を示しつつ、一面では安倍首相と距離を置こうとする態度のようにも思えるのである。
昨日の毎日新聞の記事によると、安倍首相は加計学園の監事を務めて、年に14万円の報酬を得ていたが、昔のことと自ら証言している。
加計学園は私立学校の法人として私学助成を受けているはずである。国家の助成金を受けている場合、その法人組織は、学校法人に限らず特定の政治家個人や政治団体に政治献金をすることは禁じられているはずである。
安倍首相が務めて得た監事役としての報酬は形式上は政治献金ではないとしても、ある意味では国庫補助を受けている法人からの寄付の違法性を忌避するための一種の脱法行為に極めて近いことは間違いなかろう。そのような脱法行為と取られかねない過去を国会の場で、加計学園との関係があったことをさも正直に自白する短慮を菅義偉官房長官は見透かしているのかもしれない。

この意見は共謀罪適用対象か。 [政治]

今日の毎日新聞の声欄に「政治劣化に抗議の声を」と題する以下の投稿があった。
「学校法人・加計学園(岡山市)の獣医学部新設問題で、「総理のご意向」文書が存在していたと述べた文部科学省の前川喜平前事務次官の発言に対する、菅義偉官房長官の態度は実に不愉快である。
 自分たちの汚点を隠すために「天下り問題」などを強調し、加計学園に関わる不正を告発した前川氏を”抹殺”しようとする所業は許せるものではない。自分たちに都合の悪い情報は秘匿し、都合の良い情報だけを流しているようだ。こうした政権に民主主義国家を担う資格はない。直ちに退陣すべきである。同学部新設に関与した人物に対しては証人喚問を行い、全てを明らかにすべきである。
 それにしても自民党の国会議員は安倍晋三首相や菅官房長官の顔色をうかがうだけで、国民の代表として選出されていることをどれだけの議員が自覚しているのだろうか。我が国の政治がこれほどまでに劣化していることを国民は認識し、不正をただすために一斉に声を上げるときである。」
 この意見を家人が声を出して読み聞かせてくれたとき、思わずこの意見は共謀罪の対象になるのと違うかと感想を述べた。国民に政府転覆を指嗾していると強引に解釈できるかもしれないのである。流石に現時点では「共謀罪」はまだ成立していないので適用しようもないであろうが、参議院で可決、法案が成立すれば、こうした意見は監視の対象になり、投稿者の身辺もチェックされないとは言えない。
この声を載せた新聞も共謀に荷担したとの科で発行停止処分がないと誰が断言できるであろうか。
今日から始まる参議院の同法の審議で、質問する議員は、この声欄の意見を紹介し、政府の見解を質すことである。
安倍首相や菅義偉官房長官、更には周囲官僚のやっていることは正に戦前の大本営発表に類する情報操作そのものである。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

核兵器保有国家の核兵器廃棄は皆無 [政治]

北朝鮮が核兵器を保有して大陸間弾道ミサイルの技術も高度化しているという。核実験では日本海の排他的経済水域外に着弾させたりして、北朝鮮当局は、我が国も攻撃の対象になりうると公言している。
日米韓の首脳は、安保理決議違反だと言って厳重にして断固たる抗議を北朝鮮にしたという。抗議ですんなりと核兵器の実験や脅迫を止めるとは到底思えない。
現在、世界の國で核兵器を保有している國は、米露英仏中国インドパキスタンの七カ国と公然の秘密としてイスラエルも核保有国だと言われる。
国際世論がいくら核兵器の廃絶を呼びかけても、これらの国々で核兵器の廃棄を表明し実践した國はない。先日の国連での核兵器廃絶の条約ですら日本は調印しなかったことは差し置いても、一端核兵器を保有した北朝鮮が核兵器の製造を止めたり、廃棄をしたりするとは到底考えられない。核兵器保有の脅威を盾にとって国際社会に挑戦しているのが外交的姿勢である。
アメリカの国務長官も北朝鮮に対する武力を伴う制裁を実施すれば、想像を絶する悲劇を招くことになると発言している。窮鼠猫を噛むような事態を将来させない対応に外交政策の舵を切ったのかも知れない、と推察したりしている。
さすれば、核兵器を保有しているという儼然たる事実を受け入れて北朝鮮に対応するのが、彼らに核兵器を使わせない外交的方策になるのではないかと考える方がよほど現実的対応のように思える。
我が国の憲法が如何なる戦力も保持しないと明記する中で、自衛隊を創設していることを半世紀に及んで容認してきているのと同じような現実的対応である。理念としては、核兵器の製造保有は容認できないが、事実としてはその保有を受けとめざるを得ないということである。国際社会、国家の安全保障に重大な影響を持つ東アジアの中国、韓国、日本が叡智を集めて対応する事態に立ち至っているように思える。
分断国家の一方が核兵器を保有している時、その統合はひょっとすると朝鮮民族にとって誘惑に駆られることかもしれない。このことは次の問題であるが、上記のことを前提にして我が国までもが核兵器保有の誘惑に駆られる短慮が幅をきかすようになることを危惧するが、原発すら廃止できない政治状況をみるとこの危惧は恐怖に変わるやも知れない。

北朝鮮と韓国の統合 [政治]

韓国の新大統領が誰になるのか、色々取り沙汰されている。
新大統領が北朝鮮の金正恩と気脈を通じて核兵器を保有したまま、朝鮮半島に朝鮮民族としての統一国家を建立したら、どのようになるのであろうか。トランプ大統領は、統一された朝鮮半島に建立された朝鮮民族の統一国家に、米国の安全に重大な影響を与えるとして核攻撃を加えるのであろうか。我が国はその時どのようにアメリカや統一された半島国家に向き合うのであろうか。勿論中国の反応や対応も考慮しなければならない。
朝鮮半島に核兵器を保有した統一国家誕生の悪夢の問題はさておいても、米国の艦船の護衛を担わされた自衛艦は次には米国の艦船に変わって先頭になって最前線に立ち、米国の艦船が日本の自衛艦の護衛を担う日が来るのはそんなに遠くないように想定する。日本が米国の属国でないことの証左として、安倍政権ならば、否自民党政権ならば独立国家の矜恃だとして嬉嬉として受け入れ、国民を巧妙に誘導する報道機関は同盟関係とはそのようなことだとして受忍するための論調を展開するであろう。
いろいろ想像を逞しくすると、日本国の首相は、真に独立国家としての日本を統治し、国民の安寧を守ることが如何に至難な権謀術数に長けた人物でなければならないか、を考えてしまうのである。
米国債すら自由に売れないようにしてしまった歴代の自民党政権を継承する安倍首相がその任に当たるに足る宰相とは到底思えない。米国の意に従うことに腐心して、恰も米国の五十番目か五十一番目の州として認められるか、自治領としての地位を得て、富だけは本国に奉納するかの選択をしているように思われるのである。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

自衛隊の憲法九条への明記の意味する所 [政治]

安倍首相は、憲法改正を政治家としての最重要課題の一つにしているという。
常々疑わしく思っているのであるが、首相は率先して憲法を守るべき立場に居る行政の最高責任者である。その当人が憲法改憲に気炎を上げているのには違和感を覚えてきた。
自民党総裁として憲法改正を云々することは政治家として政治信念の吐露であって何ら問題はない。報道機関も政党政治によるにもかかわらず、原理問題を等閑視して、首相が改憲を主張することが当然のような記事を書き放送している。
こうした混同は、安倍首相をして自ら立法府の長と言うとんでもない発言をさせる要因でもある。議会の長は、何故この失言を問題視して、国会として厳重に抗議をし、議会で謝罪させなかったのか。衆参両院議長の職務怠慢と職責意識の欠落と言ってもいいだろう。
政治家には、政治家活動の自由と思想信条の自由は最大限尊重されなければならないことは論を待たない。しかし、行政府の長たる首相は機関の長として現行法、まして憲法を誰にもまして守る責任を負っている。公務員は憲法を守ることを誓約して任に就くことになっているではないか。
三権分立の基本的対応はおろか、意識もない、つまり権力を掌握した者は野放図に何でも出来るという意識が根底にあり、それを周囲も容認し、かつ批判もしない。恰も絶対君主の持ち主の振る舞いである。
その当事者が、自衛隊を憲法九条に明記すると主張する意図がどこにある。このことを推し進めて考えると問題点は明白ではなかろうか。行き着く先が徴兵制の導入であることは論理的帰結になるのではなかろうか。
制服を着た自衛隊員が地方の私鉄の駅構内で机を並べて自衛官を募集しているのが現状である。さすれば、一端事が生じた時にどうなるかは考えてみるだけで事態の展開は見えるのではなかろうか。憲法に明記された自衛隊に自衛の義務を果たすために、国民は自衛の義務を負うとの大義名分を持ちだして、不足する自衛隊員の補充に関わる規定を立法化することは容易に想定内に入る事案であろう。
日経の論説主幹は、我が国の憲法は他国に比べて「低い『規律密度』と称して、流石に九条に自衛隊の明記をすることまでは主張しないが、理念を掲げるのが憲法であるとすれば、憲法に規律密度を濃くすることを求めるのは、抜け穴を設けると同義だという陥穽を意図的に無視しているように思われる。
大日本帝国憲法が、天皇は神聖にして侵すべからずと規定する一方で、三権を掌握するという神聖性を限定するにも拘わらず、前者、つまり天皇の神聖性を巧みに利用する呪術的憲法として運用されたと同じように、主権在民の現行憲法でも選挙制度の欠陥は無視して、否巧妙に悪用して多数勢力を制した政権与党によって選出された首相は独裁的権限を行使できると独断的に思わせようとして呪縛を強めているのが自民公明党の政治的姿勢ではないか、と考えている。
ついでに言えば、規律密度の濃い憲法を規定せんがために、自衛隊を憲法九条に加えるならば、自衛の義務を果たすために献身するのは、この規定導入に積極的に賛同した自民公明党の幹部の子弟、更にはその支持者が先ずその責務を果たさなればならないとの一項を加えた憲法改正案を出すべきである。それが國を自ら率先して守ることを求める信義であり、国民の安心と安全を守る政治である。国民を権力者の恣意に任せた盾にしないための保証は担保されなければならない。
「民信無くんば立たず」の言に従えば、「蔓草すら猶お除くべからず、況んや云々をや」と言って然るべき権力把持者の許で我々衆庶は手足の置き所を失いかねない状態なのである。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

この親分にしてこの子分あり [政治]

更迭された今村前復興大臣は二階幹事長の派閥の会合で暴言を放った。その二階幹事長は暴言の問題を報道の質の問題にすり替えて擁護したつもりになっている。震災地で苦難を強いられている人々への心遣いなどさらさらないことを二階幹事長も暴露しているようなものである。政権与党の幹事長がこのような政治姿勢であるから、復興の道も日暮れて道遠しというように被災者が不信を募らすのも宜なる哉であろう。
安倍首相も震災者の心情を逆なでするような不適切な発言だったと言っているが、五輪招致の際の原発事故は完全にアンダーコントロールされていると嘯いていたのだから、その言葉も被災者に響くものではなかったろう。そもそも今村氏のような人物を任命したところに復興対応の姿勢の軽さが見て取れるし、事実をねじ曲げ、覆い隠してまでオリンピック招致に情熱を傾けたところにその政治感覚と政治運営の本質があるのだということなのであろう。
今村氏は本心から謝罪しているのであれば、議員辞職をして福島岩手宮城県でなくても、甚大な震災を蒙って今なお苦しんでいる隣県熊本の被災地のために粉骨砕身して政治家としての再起を図るべきであろう。そのことが大臣まで務めた為政者としての「復興」ではないかと存念する。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

フランス大統領候補ルペン氏の党首辞任 [政治]

より多くの支持を得る為めの辞任だと評されている。この変わり身はオランド大統領ではないが、危険な兆候であろう。何故なら大統領になれば、また党首として公言してきていたことを実行に移そうとするに違いないからである。支持の拡大を得たい為なら、党首として党の政策を支持を得るように変えるのが筋であろう。
二人の候補はどちらが大統領になっても首相の選任、政策遂行などで議会との軋轢は生ずると予測されているので、そのことを意識しての辞任かもしれないが、計算づくなのかもしれないが、唐突なその変幻自在ぶりは本来の支持者は別にして揺れている有権者の支持を得られるかどうか。むしろ信頼できない為政者という評価を得ることになるように思われる。
アメリカトランプ大統領は、類は類を呼ぶということなのだろうか、ルベン氏を支持する発言をしているが、却ってマイナスに働くように思える。フランス人を筆頭にして欧州大陸の人はどちらかというとアメリカやアメリカ人を評価するに吝かな傾向があるようだし、一種の内政干渉に近い点もあるから、むしろ反発を買うのではないかと思う。

比例代表制選出の長島議員の民進党離党と議員資格 [政治]

長島昭久議員が民進党を離党した。民進党が共産党との連携を深めていることについて、政治信条としてこの党にとどまることが出来ないと言うのが、離党の大きな理由である。彼は比例代表で選出されている議員である。
民進党は彼を除名処分にして、かつ議員辞職も求めている。長島氏は、議員辞職には応じていない。新党結成に動いているとも報ぜられている。新党結成の前に、まず議員辞職をするのが政治家として当然の責務であろう。なぜなら民進党の比例代表で当選しているからである。
彼は民進党の政策変質が許されないとして離党を決意をしている。政党は時代や政治状況で政策を変えることもある。自己の政治信条と相容れないというのであれば、政党人として党内で自己の政治信条に添うように各党員に自己の主張を説き続け多数の賛同者を得るように努めるのが筋であろう。多数派工作に努める道半ばにして退却するのが今回の離党行為であろう。
従って、自己の政治信条と異なる政党の比例代表議員として選出された議席だけは維持しようをするのは、何の為に政治家を志しているのかという根本的政治姿勢や政治信条を自ら蔑ろにしているということになろう。そもそもそのような高邁な政治信条などは脇に置いて議員を続けたいというのであれば、民進党の政策変更を理由にして民進党を批判することは自己撞着になる。民進党の党是の変容は許されないが、自己の政治信条の変身は許して貰いたい、貰えるというのであるから低劣な政治姿勢だとも言える。
彼は民主党政権下で防衛副大臣を務めている。自己の都合や利害を優先する政治家が防衛副大臣を務めるのだから、一端事あった時の政治行動がどのようになるのかは推測するだけで心寒いものがある。
そもそも論から言えば、比例代表制などを導入している現行の選挙制度に問題があることが明白であろう。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず(論語・泰伯) [政治]

森友学園への土地譲渡問題で「忖度」ということが頻りに話題になっている。忖度の前に、官僚を含めて為政者は主権在民の時代にすら、論語で孔子が述べていることと同じ意識で政治を行っているということが問われるべきであろう。
泰伯篇の言葉は、民は為政者に従って頼らせることができるが、何故従って頼らせることが出来るのかを民に説いて分からせることは出来ない、という意味で解釈されることもある。民という字は「くらい」という意味を原義にしているので、道理に暗いということが前提になっているとも言える。九牛の一毛に比肩できるほどの識字率の時代の為政者と民との関係について論じた言葉である。
「べし」と訓ずる「可」を可能としてよりも当為、適当の意味で解釈して、「この土手上る可からず警視庁」という用例のように使われると、明確に禁止の意味となって、為政者の支配の意味がより強くなる。
もともと「不可」というのは、できない、良くない、宜しくない、許されないという程度の意味であって、してはいけないという意味に転化するのは日本語の助動詞「べし」をこの「可」の訓に当ててきていることに起因しているように思う。
そのことはともかくも、「知らしむべからず」というのを為政者や支配者が国民を自由に操り自らに都合良く治めようとする専制的な権力の行使を考え方を根底にしている。お上には逆らえないという考え方、官尊民卑の思想が根底にあって、主権在民の理念には完全に違背するものである。
森友学園への土地売却過程で示されている政府官僚や与党の考え方は言うに及ばず、防衛相の日報問題、復興担当大臣の避難民無視発言を含め、重要な記録を抹殺したり、消却したり、教育勅語の恣意的な礼賛などなどの為政の姿勢は正に「民は之を知らしむべからず」ということばの恣意的な解釈に基づいていると言ってもよかろう。
雑誌の広告で見かけた櫻井よしこ氏の「安倍一強なぜ悪い」という考え方などは、民を支配の対象とだけ見てとして権力を絶対化した専制政治礼賛そのものである。中国における共産党一党独裁や北朝鮮の王権的支配と殆ど変わらない政治・統治観が骨身にしみついていなければ、とても言えない知的ともいえない知的対応である。
日本韓国中国の国民の幸福度順位が世界の50位以下に並んで位することと無縁ではないのかもしれない。

無為無策と有為有策 [政治]

石原元知事は「(小池都知事に伝えたい言葉は?)小池にいじめられても、寿命縮められても、俺は絶対に戦う。最後まで。あんな無為無策な知事を置いておくわけにいかないよ」と、強い口調で、小池知事に「いじめられても、最後まで戦う」と高らかに宣言。(Fuji News Network
「あまり体調(がいい)とは言えないけど、とにかくできるだけ短時間にしてもらって、質問あったら要点を聞いて答えることを答えようと思っています」(石原慎太郎元都知事)

 体調不良を理由に予定の3時間から1時間に短縮するよう要請していることについては・・・

 「医者がとてもじゃないけど1時間にしなきゃ無理ですと。医者も同伴してくれますから」(石原慎太郎元都事)(TBS系)
戦うとか、いじめられているとか、都合のいい感情に走って問題をすり替えているのは、石原慎太郎元都知事の常套手段のようである。都政を与っていたという自覚が全くない発言だけは終始一貫している。長期にわたって都政を与っていたら、失政もあったかもしれないとの自省もないのが不可思議至極である。
最後まで戦うと言いつつ、医者の介添えを求めて、時間短縮を願い出ている。一回の時間短縮を求めるなら、間を措いて何回かに分けてでも疑問に答えるべきであろう。それが、戦い方ではないか。命の惜しい侍もいて当然だとしても、果たし合いという認識ならば、それ相応の対応をしたらよさそうに思うが、それもできない。
有為有策の結果が無為無策と問題をすり替えた事態を招いているとの認識すらない。無為無策の中身を問題にする前に、有為有策の中身を語る責務があることが問われているのである。
補足すれば、無為無策は、為す無くして策無しであるのに対して、有為有策は、為す有るは、策有ればなり、ということである。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース