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保守論客の譲位反対論 [政治と法律]

保守派の渡部昇一上智大名誉教授は、皇室の最も大事な役割を祭祀(さいし)とし、国事行為などは皇室典範に規定がある「摂政」による代行が望ましいとの考えを示し、退位に反対した。月刊誌の寄稿などで退位に柔軟な姿勢を見せていた桜井氏もこの日は明確に反対し「陛下への配慮は重要だが、国家の在り方と分ける必要がある」と主張した。

 笠原英彦慶応大教授は「二重権威」が生じる恐れなどから反対を表明。(毎日新聞)

「皇室の最も大事な役割は祭祀」というのは、皇室内部の問題であって、憲法の規定する象徴の役割とは無縁であろう。今回の譲位問題の発端は、憲法に規定する象徴としての国事行為遂行の問題であるから、退位反対の論拠としては不適切であるし、皇室典範にあるとは言え、摂政の地位は憲法上規定されていない。
桜井氏のいう「国家の在り方と分ける必要」というのも、国家の在り方の理念を憲法に基づけないのが、同氏の立場なのだろうから、国家の在り方を同氏は明確に理念化してその中で天皇制と譲位の問題を論ずるべきであろう。自己が恣意的に考えている国家像を根底に於いて天皇の譲位問題への見解は隔靴掻痒の嫌いがあろう。付言すれば、どのような国家の在り方であれ、譲位や退位の問題は生じうる。氏が理念とする国家にあっては、天皇の地位をどのように位置づけるのは別にしてにも、譲位も退位も認めないという厳格な規定を定めるのであろうが、それでも時の権力の恣意によって廃位退位がなされない保証はないだろう。
二重権威というのも、憲法に則る限りその虞れはないのであって、平気で憲法に抵触する懼れがある海外に自衛隊を派遣するするような憲法解釈の拡大を前提にしているとしか言えないであろう。
細部にわたる三氏の論点を知悉していなくて、片言隻句を対象にしているので、誤解の懼れ無しとはしないが、保守派の論客としての反対論には奥歯に物が挟まった感をぬぐえない。もっと言えば、腹に一物背に「荷物」という印象を抱いた次第である。
付記:渡部昇一上智大名誉教授の見解は、「まつりごと」の語源にあるように、祭政一致の古典的な考え方であって、祭政の権能が分離して久しくなっていることを意図的に無視しているだけであろう。しかも、出雲系の神々と伊勢神宮に祭られる神々とは巧みに棲み分けて祭祀を司っていたという日本古代の宗教のありようも無視していると言えるかも知れない。

憲法24条と家族 [政治と法律]

改憲運動を展開している保守団体「日本会議」(田久保忠衛会長)は、憲法24条を改正すべきだとの主張を強めている。背景には伝統的な家族を理想とする心情がにじむ。家族のあり方は憲法で定めるべきか--。

 「サザエさんが今も高い国民的人気を誇るのはなぜでしょう」。日本会議の関連団体が制作した啓発DVDの一場面。ナレーターは24条により家族の解体が進んだ結果、さまざまな社会問題が起きているとして、3世代同居のサザエさん一家を理想と持ち上げた。

 「個人の尊重や男女の平等だけでは祖先からの命のリレーは途切れ、日本民族は絶滅していく」。日本会議の政策委員を務める伊藤哲夫氏は9月、埼玉県内の講演で、改憲テーマの一つとして24条を取り上げた。安倍晋三首相のブレーンも務める伊藤氏は「家族の関係を憲法にうたうべきだ」と力説した。
こうした家族観は自民党改憲草案や安倍政権と通底する。首相は先月5日、国会で「家族は社会の基礎を成す基盤。憲法にどう位置づけるかは議論されるべきだ」と答弁した。

 改憲に意欲を燃やす首相と、それを支える日本会議。両者が24条に言及したことで、9月に発足した市民運動「24条変えさせないキャンペーン」は警戒感を強めている。呼びかけ人の一人、山口智美・米モンタナ州立大准教授(文化人類学)は「憲法で家族を定義し、法律があるべき家族像を示すことは、単身者や子供のない人、性的少数者など多様であるべき生き方を否定し、人権を侵害することにつながりかねない」と指摘している。【川崎桂吾】(毎日新聞)
「ナレーターは24条により家族の解体が進んだ結果、さまざまな社会問題が起きている」というのは、牽強付会も甚だしい。社会的変化がこうした核家族化を推し進めたのである。資本主義経済の発展と並行した社会現象であろう。
その昔総評は一貫して標準所帯を五人家族として賃金闘争の基本的考え方にしていた。五人家族とは、夫婦と子供三人がいて始めて成長路線が確保されるとの考え方であった。四人家族では静止人口になり、人口減少の端緒に就くことが危惧されたからである。
今や人口減少が言われて、このままで人口減少が進めば、世紀何年かには、日本人口は三人にまでなるという試算を読んだことがある。
安倍首相は働き方改革を掲げて労働者の安定就業を妨げかねないような「理念」を推し進めようとしている。経済新聞などでも「会社にしがみつく時代は終わった」と個人の才覚で生業を成り立たせる時代になっていると世論を喚起している。公務員でも非正規雇用が三分の一に及んでいるというそれこそ社会基盤の安定が揺らいでいる中で、三世代が同居するような家族構成などは、過半の国民にとっては、所詮虚しい絵空事でしかなく、画餅でもないだでけなく、日本会議が憂える事態を加速させているのが、資本主義経済のありようであり、当の安倍首相の政治政策ではないであろうか。
アメリカでのトランプ現象は、資本の論理で中間層の弱体化が顕在化していること、その責を自由貿易に帰してTPPに反対することで支持を得ている結果であると言われる。議論を充分尽くすことなく、TPP条約の早期締結を企図する安倍内閣の施策は家族崩壊に更なる追い風を吹かせていることになるのではなかろうか。
基本的人権条項の抹殺も日本会議が目指す家族の再興再生とは相容れないことであろう。
そもそも家族とは子供に恵まれて始めて成り立つ。夫婦だけの所帯は契約関係の上に成り立っているに過ぎない。シングルマザーであれ、子供が生まれて家族が成り立って血縁倫理が生まれるのであるから、そうした子供を産み育てるだけの社会経済的条件の整備に力を注ぐように促すのが日本会議の役割のように思う。
社会の諸状況と歴史的事実に目をつぶって、否、意図的に歪めて現状を説明しているのは、一種の反知性的対応のように思われる。
反キャンペーンの主張に従えば、子供のいない安倍首相自身が他でもなく家族と無縁な存在となり、日本会議としては理念とする社会の指導者として相応しくない首相ということにもなるであろう。また保育所不足を解消するとする政策も彼らの考え方とは大分距離があるのではなかろうか。
現行憲法の理念が必ずしも十全に実現されていないように、日本会議が理念とする家族条項が憲法に生かされたとしても、その理念の実現は殆ど期待できないであろう。むしろ貧富の格差が拡大している現状の政治状況が生み出す社会状況は残念ながら、家族的紐帯すら形成されないということになるであろう。
結婚願望を持つ若い人は多いが、そのための条件が揃わない、もしくは整えにくいことが実際には結婚ができないという事実も報ぜられているではないか。
子ども手当を廃止して軍事予算に回せば、軍事費が世界水準になると嘯くような為政者が防衛相を担っている支配の論理を見ると、国民の過半は家庭を築き子供を持つ必要を認めていない、彼らを支配層の弾よけとしてとしか見ていないのが本音であると推察するのは、曲解であろうか。
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「名誉天皇」 [政治と法律]

三笠宮が薨去されて、通夜が営まれ、天皇もお悔やみに臨まれたことが報ぜられていた。
宮内庁の発表では、「薨去」という表現がなされ、一般紙では「ご逝去」と表現されていた。天皇には「崩御」と表現される。
古代中国の礼制では、人の死去を表記するに当たって、天子には「崩」、諸侯には「薨」、士大夫には「卒」と表現するのが礼法の原則になっている。
宮内庁は、この体例に倣って天皇の叔父である三笠宮について「薨去」と表現して、皇族の中での位置づけをしたものと推測している。皇室典範にそのような規定が存するのかどうかは定かにしていないが。そしてこの葬儀には2億8千万円が支出されるとも報じている。つまり天皇の叔父である皇族の葬儀の礼制が定められていて、その儀礼が数値化されて実体化されて計上されてのことであろう。
今上天皇の内部心意(お気持ち)を尊重して譲位の問題が有識者会議で議論された諸説を仄聞するに、譲位後の天皇の身分をどうするかも問題となり、上皇説には天皇ご自身が賛同されていないとも聞く。
譲位後の天皇の身分の名称はさておいても、身分と地位にともなう典範は定められなければならい。具体的には、ご不例になられた場合、昭和天皇の時の様に、歌舞音曲を控える程度をどの程度にするのかとか、凶事を予めするのは非礼の譏りを免れ難いが、人生の終焉をどのように表現するのかとか、葬礼の営為はどのような儀礼に基づいて行うべきなのか。外交面では、外国への通知や、外国からの弔問をどのように受けるのかとか、様々な諸規定が整備されなければならないだろう。勿論、歴史的皇室の慣例に則って現行憲法に違背しない範囲で、皇室の慣例として定着することも出来るだろう。
如上の細部にわたる礼制についても譲位後の天皇の身分をどう定めるかによって自ずから規定化されることになる。身分や地位が明確にならないのに、細礼だけを先に定めることは出来ないだろう。
会社や大学などでは、名総裁とか名誉学長とか、果ては名誉監督という実権を伴わない地位が定められている場合が多くある。各組織で名誉総裁や学長がどのように位置づけられているか、それは各者各様であろう。
その事例に倣って言えば、譲位後の天皇についても名誉天皇という称号を選択しても良いように思う。皇室典範の中で、名誉天皇を位置づけておけば、憲法が規定する天皇は日本国民統合の象徴とする条文にも抵触することもないように思う。
皇室が国民と近しい関係を維持するためにも一般的組織の体裁と軌を一にする名称を持つことが重要にもなるように思われる。

基本的人権を抹殺する自民党の改憲草案 [政治と法律]

憲法第97条は「基本的人権は侵すことのできない永久の権利」と規定する。自民党の改憲草案では、この条項を抹殺している。
なべて改憲草案では、公的立場の強調が目立っていて、個別的存在としての「人」が公的秩序よりも軽視されているか、無視されているのが最大の特徴である。
理論的に考えても、国家があって個人があるのではない。原理的に言えば、個人が自由意志で国家を形成しているのである。「私」があるから「公」が成り立つ。公に優先権を与えているのは、特定の立場や地位の「私」を意識しているとしか言えない。公の優先は、個人の無名化である。常々言うように、国民という名の民はいない。それが基本的人権が侵されることの出来ない固有の権利なのである。
表現の自由などの諸々の自由は、この基本的人権が担保されて始めて成立する。その基本的人権の抹殺は権力者へのツイートや批判的論評は、公的秩序を損なうとして厳しく対処されてしまうだろう。極論的にいえばそうなる。極論を対置することで問題の本質が見える場合が往々にしてあるから、私権の制約制限を事とする自民党の改憲草案の本質は、この基本的人権条項の抹殺でより鮮明になっていて、正に自民党が自分党であることを暴露したものであるだけでなく、若しこの改憲草案が自民党の中で承認され国会に上程され、改憲草案が議決され、国民投票で最終的に認められることになれば、ゆくゆくは他ならぬ賛成票を投じた自民党員並びにその他の議員がその呪縛の虜になることは明々白々であることを自戒すべきであろう。
このことについて、安倍首相は、基本的人権は尊重すると応じている。ならば明確に現憲法が明記するように明文化すれば良いのである。既に定着しているからとかというような曖昧模糊とした情緒的常識的対応に任せるべきことではない。ことあれば法治国家というではないか。法律として明文化しないのは下心、基本的人権が統治機関、権力者にとって都合が悪いという下心があるからである。主権在民の否定でもある。
因みに言えば、障害者施設での大量殺人の生起などは、第一党の支持率を持つ精神風土が反映しているのかも知れないと思えてくるのが過剰な反応でないことを打ち消すためにも自民党は憲法改正案でも基本的人権の抹殺はすべきではない。
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天皇は機関か地位か [政治と法律]

天皇の譲位を巡って、有識者会議が設置された。硬い表現をすれば、政府が、天皇の内部心意(動機)を尊重して、天皇の譲位を制度的にどのように位置づけるかというためにこの会議を設けたということになるであろう。
皇室は、宮内庁によって一切の庶務が所管されている日本国の一機関であって、狭義にはその機関を代表するのが天皇の地位だと考えてよかろう。皇室という機関の中でいえば、天皇の譲位は、相続の問題でもある。
日本人の相続については、民法に規定されていて、その規定は時代の変化の中で改変されてきた。
皇位の継承は、民法の規定外の問題であるから、皇位の継承つまり相続は、現行制度では皇室典範によっている。天皇や皇室の意志で相続権を自由に行使出来ないのが現行の法制であるから、有識者会議が設けられたのであろう。勿論順位を含めて相続者は定められている。
天皇は国民統合の象徴と憲法は規定するが、天皇の地位が象徴なのか天皇の人格が象徴なのか。恐らく両者が一体化して象徴として機能させられていると考えるのが穏当であろうが、法制的には極めて曖昧模糊としている。強いて言えば、日本に特有に自然法的に成立している地位とも言えるのではないかと思う。自然法的に存在すると考える皇室と天皇とを実定法的に規定しているのが象徴天皇の実質ではなかろうか。だから、人格としての天皇がその象徴としての機能を果たし得ない恐れを抱かれている。それが天皇の内部心意ということになる。内部心意の外在化としての譲位という相続の問題をどう顕在化させて法制化するか。
混乱を招きかねないというか、困難な問題を処理しきれないと判断して、天皇の内部心意を容認しないという立場もあり得る。動機よりも法的安定性という規範を重視すればそのようになるであろう。
人格としての天皇の内部心意を尊重して、新たな法制的整備をしようとするのが、今回の有識者会議の目的と課題であろうが、その法整備のあり方によっては、強制的退位とか所謂定年制のような制度になり得ることもあるだろう。
あるいはまた譲位後の天皇の地位をどのように法制的に定めるのかは、副次的な課題となるのではなかろうか。それは皇后の地位にも波及する。皇后とて地位であるから、天皇が譲位をすれば、必然的に皇后もその地位を譲ると考えるのが普通であろうが、皇后のお気持ちを無視して強権的に廃位をできるものでもないであろう。
いろいろ考えると、天皇家つまり皇室そのものを国民の統合的象徴として位置づけ、天皇の機能を二重構造化させることになるかもしれないが、象徴機能の分担ということだって可能のように思うがどうであろう。
(追々考えを継ぎ足して行こうと思うが、現時点での問題点を記してみた)
天皇は、順位の問題を含めて生得的な地位であると考えてきたのが、現行の皇室典範の法制的立場であろう。生得的地位であるが、生得的であるが故に、象徴としての機能を果たし得ない肉体的制約に触発されてお気持ちを表明された。天皇の内部心意、つまり動機である、ことを課題としたのが上記の卑見である。
地位が生得的であれば、そこに「個人」の意志を介在させてはならないということにもなる。崩御するまでその地位は保全される、崩御を以てその地位が失われるとするのが生得的地位の基本的意味であろう。

世論調査では、天皇のお気持ちを尊重するというのが、八割強に達する。つまり内部心意の尊重を規範よりも重視するのが国民の総意であることになる。
生得的関係といえば、親子の関係と類比する。親子の関係は伝統的な関係でいえば天合である。君臣関係今で言えば、組織との関係は義合である。今では、卵子を凍結して子供を生むこともあるので、天合に人為が介在していることになり、生得的関係も緩やかになっているとも言える。そうした時代の背景をこの譲位問題は期せずして孕んでいるのかも知れない。
天合とか義合という二項対立的に考えない方がよいということにこの問題の基本があるのかも知れない。

象徴天皇制の意味 [政治と法律]

天皇が所感を述べるという形式で譲位の問題を述べられた。この問題の根底にあるのは、元首としての象徴天皇という法制度の問題であろう。
天皇は国政に関与できないが、国民統合の象徴として位置づけているのが日本国憲法の規定するところである。天皇家には姓はない。天皇は生まれながらにして個人であると当時に公人である。
天皇のお言葉を聞きながら、法律的には実に曖昧な象徴という概念を用いることで、占領下での日本統治を考えた米国の日本研究に基づく日本理解に思いを致さねばならないように思った。
憲法学者を含め日本の法律専門家はこの象徴という法制度として導入された概念を法学的に明確にした人はいないのではないかと思う。
戦前津田左右吉氏が、天皇機関説を説いた問題を想起させる。神格化された天皇制の問題を機関として捉えたために厳しい弾圧を蒙っているが、象徴とは言え、国家元首としての地位は人格を伴った機関であるということもできるだろう。そうした天皇機関説に依拠したのだとも考えられるのであるが、憲法の中で天皇を象徴として位置づけたアメリカの日本研究の深度を改めて考えさせられる。
恐らく皇室を廃し、天皇の戦争責任を問えば、占領下の日本統治に困難と混乱をもたらすと思慮した結果、憲法の中で象徴天皇として天皇を位置づけることで占領政策を遅滞なく進めようとしたのだろうと思うのである。
仮にも日本が中国や米国に対して戦勝国として統治する場合、どのようのに統治すれば、混乱させることなく統治できるかなどを当時の為政者、殊に軍部を含め、官僚の誰一人として考えてもいなかった。言い換えれば、アメリカや中国を深く理解する姿勢もなかったということである。
天皇制に否定的な共産党やその他の機関や組織あるいは研究者も、象徴天皇という制度の意味すら考えているものはいなかった。最も深刻に象徴天皇とは何かを問い続けておられたのが当の天皇ご自身であったというのが今日のお言葉であるように思う。
国家元首を象徴という法律的には不透明な概念で位置づけてきた天皇の位置は、天皇制という点だけ言えば、帝国憲法下の神格化された天皇と紙一重の存在であることを露呈したとも言えよう。その紙一重の間には主権在民という重大な法的保証が潜んでいるのであるが。
歴史的伝統を持つ皇室を戴く限り、日本人は法哲学的に、皇室の問題を含みつつ、この象徴天皇の位置づけを学問的理論的に明確にしなければならないのかもしれない。重たい課題を投げかけているのが今日のお言葉だったように思う。
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被災地窃盗の厳罰化思考 [政治と法律]

 自民党の稲田朋美政調会長は10日、熊本地震で倒壊した家屋での空き巣被害が多発していることを踏まえ、被災地での窃盗に関し、通常の窃盗罪より罰則を厳しくした新たな罪の創設を党法務部会で検討する考えを示した。(産経新聞)
他人の弱味につけ込んだ犯罪行為は、犯罪行為の中でも許しがたい犯罪であることは言うまでもない。しかし、わざわざ厳罰化のための法を制定する発想はいかにも俗受けを狙った別の意図が隠されているとしか言えない。著名タレントなどもそれに類した発言をしているのも耳にする。
感情に訴える法制定や運用は危険な法感覚であり、権力乱用に繋がる危惧を覚える。
厳罰に処するのが適切だと考えられるならば、現行刑法でも厳罰に処することは出来るだろう。実際の裁判では、犯罪動機を含め、裁判官が充分審理を尽くせば、単純な窃盗と異なる罪状として認定した裁判審理が可能であろう。
被災地の窃盗よりも危険度の高い川内原発の停止要請などには耳を貸さない態度を見ていると稲田政調会長の老獪とも言えない狡猾な反応の方が、問題にされて然るべきであろう。
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