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民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず(論語・泰伯) [政治]

森友学園への土地譲渡問題で「忖度」ということが頻りに話題になっている。忖度の前に、官僚を含めて為政者は主権在民の時代にすら、論語で孔子が述べていることと同じ意識で政治を行っているということが問われるべきであろう。
泰伯篇の言葉は、民は為政者に従って頼らせることができるが、何故従って頼らせることが出来るのかを民に説いて分からせることは出来ない、という意味で解釈されることもある。民という字は「くらい」という意味を原義にしているので、道理に暗いということが前提になっているとも言える。九牛の一毛に比肩できるほどの識字率の時代の為政者と民との関係について論じた言葉である。
「べし」と訓ずる「可」を可能としてよりも当為、適当の意味で解釈して、「この土手上る可からず警視庁」という用例のように使われると、明確に禁止の意味となって、為政者の支配の意味がより強くなる。
もともと「不可」というのは、できない、良くない、宜しくない、許されないという程度の意味であって、してはいけないという意味に転化するのは日本語の助動詞「べし」をこの「可」の訓に当ててきていることに起因しているように思う。
そのことはともかくも、「知らしむべからず」というのを為政者や支配者が国民を自由に操り自らに都合良く治めようとする専制的な権力の行使を考え方を根底にしている。お上には逆らえないという考え方、官尊民卑の思想が根底にあって、主権在民の理念には完全に違背するものである。
森友学園への土地売却過程で示されている政府官僚や与党の考え方は言うに及ばず、防衛相の日報問題、復興担当大臣の避難民無視発言を含め、重要な記録を抹殺したり、消却したり、教育勅語の恣意的な礼賛などなどの為政の姿勢は正に「民は之を知らしむべからず」ということばの恣意的な解釈に基づいていると言ってもよかろう。
雑誌の広告で見かけた櫻井よしこ氏の「安倍一強なぜ悪い」という考え方などは、民を支配の対象とだけ見てとして権力を絶対化した専制政治礼賛そのものである。中国における共産党一党独裁や北朝鮮の王権的支配と殆ど変わらない政治・統治観が骨身にしみついていなければ、とても言えない知的ともいえない知的対応である。
日本韓国中国の国民の幸福度順位が世界の50位以下に並んで位することと無縁ではないのかもしれない。

張本氏のWBC批判 [プロ野球]

野球評論家の張本勲氏(76)が26日、TBS系「サンデーモーニング」(日曜前8・0)の名物コーナー「週刊・御意見番」に登場。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)準決勝で米国に1-2で惜敗した日本の戦いぶりを総括した。

 「武士の情けで負けたチームを悪くいいたくなど、原因は2つある。1つは小久保監督」と小久保裕紀監督(45)に疑問を呈した。「コーチも監督もやってない人に大役を与えた」とし、「いいコーチをつけてあげないとうまくいかないんですよ。組織だから。そのコーチが監督のいうことを聞かないで、チームをかき回すようなコーチをつけてどうするの」と組閣を一刀両断した。(サンケイスポーツ)

負けたチームを悪く言いたくないといいつつ、酷評するのもいい加減な評論だが、張本氏の論評は、絶対勝つことが出来たという前提でなされていて、勝負事を経験した人の言葉とも思えない。
恐らく誰が監督をしても絶対に勝てるということはない。むしろ代表選手の話を新聞で読んでいる限り、小久保監督はチームを結束させることに成功していたのではなかろうか。だから、準決勝まで進ませることができたのである。むしろコーチも監督も経験していない中で、ここまでの成果を挙げたのは、小久保氏が一軍としての将としての器であったことを示しているとして、張本氏は評価すべきであったろう。それが球界の長老としての後継者育成の責務ではないかと思う。
誰しも最初は経験はない。「負けたら日本におれない」というほどの重圧に耐えなければならないのは、張本氏のような酷評がいや増しに監督を追い詰めているのだろうと思う。
勿論小久保氏は、張本氏に褒められたいためにチームを指揮して戦ったのではないだろうことは言うまでもなかろうが。
「チームをかき回すコーチがいた」というのが、本当ならば、アメリカでの決戦に臨む前に敗退していたろう。チームをかき回すコーチがいたのが、本当だとして、ここまでチームを纏めた力は評価に値するだろう。
そもそも、代表選手の年俸が一億円以下の選手が大活躍している。彼らの年俸が低いのは、能力はあるが経験の浅いからである。
野村克也氏が絶賛している小林捕手は、中日の岡田投手に次いで二番目に低い年俸である。ベストナインに選ばれた千賀投手も6000万円超の年俸で、育成出身である。小林、千賀投手の活躍は出色であった。
因みに言えば、広島の鈴木、田中両選手は去年から活躍が目立った選手で5000万円内外の年俸である。ハムの大野捕手も一億円に達するか否かの年俸である。他の選手は、一億円を超える年俸の選手ばかりである。真偽の程は分からぬが、小久保監督の俸給は、月額40万円とか、年俸500万円にも満たない。
そんなこんなを勘案して、小久保監督にご苦労様の一言ぐらい発するのが、球界のご意見番であり長老なのではなかろうか。心狭い論評に思えてならない。

アメリカ戦は、地の利、時の利に恵まれなかっただけだろう。前日は晴天で決勝戦も好天気であった。日本戦だけが雨中の決戦であった。得点に結びついた名手菊池選手のエラーも、決勝点になった松田選手のファンブルも雨のいたずらだったように思う。球運が味方しなかったなかで、人の和があそこまでの熱戦を展開させた。
菅野投手も精根尽き果てるほどの投球をしたのは、前の試合で打たれたことをバネにした意地が一番大きかったろうが、彼を信じて先発させた小久保監督の期待に応えたいという気持ちもあったろうと思う。
青木選手もたまたま調子の巡り合わせが悪かったのであろう。現役の大リーガーは彼一人だから牽引者としての役割を担わせたのだろう。キューバチームが、峠を過ぎたセペタ選手に三番を打たせ続けさせていたのに比べれば、問題視することではないと思った。
問題があったとすれば、結果論だが、千賀投手が、打者を追い込んでおきながら二塁打を打たれた時の配球だったように思う。あの時テレビを見ながらアウトコースに直球を投げろと独りごちしていたが、変化球を投じて痛打され、傷口を広げてしまった。
小林捕手が成長したのは、他球団の一流投手の投球を受ける機会に恵まれたからであろう。当初、千賀投手のお化けフォークがなかなかキチンと捕球できなかったと彼が語っているからである。
余談だが、「千賀」という姓は吾がPCではスンナリ変換できない。千と賀を入力してできたものである。
この苗字は、彼は蒲郡出身だが、東三河では見かける苗字である。豊橋には千賀菓子店などの看板も目にする。二十年ほども前になるだろうか、慶応大学に千賀という長身の投手がいて、中京高校の出身だったように記憶する。東三河の中学からスカウトされたのでないかと推測する。

譲位後の陛下のお住まい [社会問題]

天皇陛下が退位された場合の住まいについて、皇居内の「御所」から、皇太子さまの現在の住まいである赤坂御用地内の「東宮御所」に移すことを宮内庁が検討していることが分かった。即位後の皇太子さまは御所に移られることが検討されており、この場合、陛下と皇太子さまの住まいを交換することになる。【高島博之】
歴代の退位した天皇の住まいは「仙洞(せんとう)御所」と呼ばれている。退位後の陛下の住まいの名称も仙洞御所とすることが検討されている。(毎日新聞)
天皇陛下と皇太子との間でお住まいの交換ということで、費用面でも新たな出費が避けられるとのこと。
陛下のご意向なのか、宮内庁の考えに拠るのかは不明だが、上洛して京都御所にお住まいになると言うことは考慮の外なのかどうか。京都人(きょうとびと)は、お天子さまを一時東京にお預けしていて、いずれ京都に戻らはるというような意識が潜在的にあるとか聞く。江戸遷都以後150年を経ていて、京都人の意識も変わっているかもしれないが、京都からお誘いの声が公然とは聞こえてこないのは、恐れ多いことという慮りが働いているのかも知れないが、東京一極集中を避ける意味でも、また地盤沈下している大阪などにも望ましいことなのではないかと存念している。
何よりも、京都が先の大戦で空襲を含め欧米列強の攻撃の対象にされなかったのは、名前は失念したが、知日派のアメリカの文化人かがその貴重な文化遺産を戦火で失うことの歴史的損失を訴えたことが与って力があったという。戦火を免れた歴史的経緯をも含め、平安朝以来、御所のある京都に譲位後のお住まいを定められるのが最良の選択ではないかと思うのだが。
譲位後の陛下の呼称を上皇とする案もあるようだが、そのお住まいの名称を仙洞御所とするのが伝統に添ったのであれば、譲位というのは一種の隠棲であるから、仙洞聖人(しょうにん)もしくは仙洞上人(じょうにん)という呼称にする方が仙洞の意味にも合致しより適切なように思うが…



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田母神俊雄元航空幕僚長閣下の森友学園擁護(承前) [言葉]

田母神氏は、森友学園を攻撃するのは、反日的日本人だとつぶやいたことについては既に記した通りである。
今回の籠池泰典理事長の国会の証人喚問でなされた自民党や公明党、維新の党の議員のみならず、自民党や公明党、加えて維新の党の幹部の喚問での籠池氏の証言を評して、嘘つき、虚言癖があることが明白になったなどと寄ってたかって籠池氏の人間性を否定する所にまで立ち至っている。
この喚問は、国有財産が不当に廉価に払い下げられたことを究明するところにあった。自公維新の議員の質疑は、ひたすら首相の寄付の有無に焦点を当てて悪魔の証明問題に引きづろうとしただけであった。
大阪府は森友学園への補助金(私学助成)を中止するとまでの報復手段に走っている。府知事が指弾されたことへの行政的仕返しであることは、どのような理由を付けようとも、明白であろう。
縷々綴るまでもなく、自民公明維新の党の議員は、田母神氏に倣って言えば、日本の政治をキチンと導こうとするのではなく、歪めているということになるという意味で反日的日本人という範疇に括ってみたくなる。田母神氏の森友学園擁護は正鵠を射ぬいていたのであろうか。
国粋的右翼組織の一つである日本会議の議長が「安倍首相に憲法改正などの自らの政治信条達成の望みを託していたが、憲法改正への意欲よりも、自らの政権維持に軸足をおいている」という趣旨の発言をしていた。
今は日本会議から離脱しているとされる元日本会議の有力な同志であった籠池氏への今回の国会での安倍首相や政権与党などの対応振りをみて、安倍首相頼むに足らずとしてより原理的に日本会議を支持する政治家の誕生を目論むことがより静に深く潜行して行くのではないかと危惧している。
過激な右翼思想がこの状況を打開しようとして、5.15事件や2.26事件のようなこと、三島由紀夫事件のようなことが惹起されるかも知れないと妄想している。この危惧が妄念でないことを祈るのみである。

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安倍首相夫人の反省 [言葉]

安倍首相夫人の昭恵氏は24日、北九州市で講演した。  参加者によると、学校法人「森友学園」(大阪市)の問題について、「多くの方をお騒がせすることになった。自分に甘さがあったのではないかと反省している」と述べたという。  講演は九州の財界関係者でつくる一般社団法人「九州賢人会議所」の主催で、非公開で行われた。昭恵氏は冒頭、「私は普通の主婦で、普通の女性。『主人のため』『国のため』と一生懸命やっているつもりだった」と語り、声を詰まらせた。問題については「発言は控えたい」と述べ、具体的な言及はなかった。(YOMIURI ONLINE)
別の記事などによると、夫人は涙を拭ったとかの表現もあったが、上の記事も「普通の主婦とか普通の女性」という表現で夫人の女性性に依拠して、今回の森友学園の籠池泰典理事長の証言を嘘偽り虚言癖に基づいていて首相の言葉を借りれば一生懸命に努めている女性に対する悪意のある証言という反論を補完する意図を感じさせる。社会で活躍している女性から見れば、首相夫人としてもっとしっかりしてよと言いたいところであろう。
女性差別の最大の敵は女性だと言われたりするが、女性であろうが、主婦であろうが、甘さがあろうが、そのようなことで問題の本質をはぐらかしてはならない。女性参画社会を標榜する安倍首相は率先して夫人が喚問に応ずることに同意すべきであろう。
100万円の寄付は記憶していない、とか講演料は貰っていないとか言う片方で、「自分に甘さがあったのではないか」と言う以上は、その甘さとは何を指しているのかぐらい国会の場で証言すれば良いのである。名誉校長になったことが甘さだったのか、籠池泰典理事長の教育理念は別にしてその人間性を見抜く力に甘さがあったのか、はたまたメールのやりとりをした籠池氏夫人との交際を恥じているのかなどなど、語るべき反省は個人的なものではない。普通の女性、普通の主婦としても問われかねない問題であろう。首相夫人としてむしろ森友学園の教育理念に肩入れして名誉校長を引き受けたという視点で言えば、むしろ首相を内助しようとして森友学園を利用していたとも言われかねない行為であろう。
普通の主婦や女性は政府専用機になど間違っても搭乗できない。もし私人だというならば、厳密に言えば、飛行機代をポケットマネーで支払っていたのか。或いは首相の俸給から夫人の飛行機料金を差し引いているのか、ということにもなろう。
このような振る舞いをしていること自体、籠池氏の証言の信憑性を高い確率で担保しているようなことになるだろう。それこそ自己の甘さを懲りずに露呈しているのかも知れないではないか。
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天皇の譲位と易の考え方 [理念]

天皇が譲位のお気持ちを示された最大の要因は高齢による十全な象徴天皇の役割が果たせなく成りつつあるということであった。この問題について、健康面を含む天皇の徳が十分発揮できない、別言すれば、徳の内実に欠ける部分が生ずる懼れが出て来たための譲位というのが、天皇の譲位の内部心意であって、それを尊重することの意味については既に記している。
このブログのタイトルは、易の最初の乾の卦の爻辞(こうじ)に拠っている。乾卦の上の卦の真ん中の爻の辞は、「九五 飛龍(ひりゅう)天に在り、大人を見るに利あり」とあり、一番上の六番目の爻の辞は「上九 亢龍(こうりゅう)なり、悔い有り」とある。易の考え方は、中正を尊ぶので、九五の位置は、あたかも天に昇らんとする龍が勢いよく中天にいるような最も恵まれている状態にいることを象徴しているとされる。上九の亢龍は、天高く昇りすぎてしまって後は降りるしかない状態にあることを象徴していて、ここまで上り詰めない方が良かったと悔いているということである。天皇の譲位は、この乾卦の九五と上五との爻辞と相呼応しているように思えるのである。
易について言及したついでに申せば、神社のおみくじなどの占いの「大吉」とか「吉」とか「凶」とかの占った結果を示す言葉(判断辞)はこの易の判断辞を借用しているのである。神道思想もその意味では易の思想などを巧みに取り入れている融合的な思想である。純粋に日本的なるものというのは言ってみれば無いとも言える。こうした異国の文化や思想を巧みに取り入れ独自の文化を作り上げてきた所に日本的なるものの本質というか原点があるのだろう。従って、国粋主義と言うような思想は幻想に過ぎないとも言えるだろう。幻想に縋っているのだから、呪術に堕するのも已む得ないのかも知れない。

隠れたるより見(あら)わるるは莫し [言葉]

昨日の籠池泰典理事長の衆参両院での証人喚問は、音声を消したWBCの決勝戦を見ながら拝聴した。
籠池氏の言動には信がおけないということを何とか印象づけようとする質問に終始していたのが、自公及び維新の党の議員諸氏であった。特に首相夫人からの寄付の有無の問題では、明確に名誉なこととして受領したと答えいて、一貫性があった。今朝の新聞報道などでは、夫人は、講演料も寄付もしていないとのコメントを出している。首相も「密室のやりとりで、反証できない事実に反することをのべられたことは誠に遺憾だ」と重ねて否定している(時事通信)。首相の寄付金は夫人に託されたのだというのが証言なのだから、「密室のやりとりで」というのも奇妙である。
学校法人はその法人の教育理念に賛同したりする人々の寄付によって成り立つことが多い。寄付行為による法人の設立が原則である。記念事業なのでは、寄付を同窓生や会社に募ったりしている。だから、小学校設立に当たって、首相なり、夫人が寄付をすることは決して法的にも徳義的にも問題にされることでもないだろう。公的資金の助成を受けている法人が政治家などに寄付をするのは禁ぜられているが、政党交付金を受けている議員が学校法人などに寄付をするのは法的に問題があるのかどうかは不案内である。首相が私人として寄付していれば法に抵触するとも思えない。むしろ、母校の記念事業などに卒業生として議員が寄付できないというのであれば、問題と思う。夫人は名誉校長までしているのだから、寄付したことを無かったとすることの方が奇妙なように思う。森友学園の教育理念が公になって、極端な思想に基づいているので、寄付をしなかったと言っているとすれば、また話は別である。
ところで、自民党の幹部などは「ないことやなかったことを証明するのは困難である」という趣旨のことを述べている。悪魔の証明とも言われる。
岐阜県の美濃加茂市長の藤井氏が市議会議員時代に業者からの賄賂を受け取ったか否かの問題で、業者は賄賂を送ったと供述して、藤井氏は受け取っていないと主張して、裁判では有罪判決が出て、結局は辞職して立候補し再選されたことが耳新しい。
籠池氏は、神のみぞ知るとか言っているそうだが、神と称せられる存在は、心の中にこそいることを言っているのが標題の古語である。悪魔の証明への反証かもしれない。嘘は人にはつけても自らにはつけないということをも言う言葉である。

日本の幸福度世界51位 [社会問題]

報告書は、福祉、自由、寛容、正直、健康、所得、良好な統治などの「幸福度を支えると考えられる主な要因のすべてにおいて、トップ4か国はみな上位にランクしている」(国連(UN)が20日発表した2017年版の世界幸福度報告書(2017 World Happiness Report))
近年経済的に大きく発展した中国は、調査対象155か国中で79位だった。報告書は中国の幸福度は25年前より高くなっていないことを示している。
日本は53位、中国は83位という報道もあって、どれが正しい順位なのかは、分からない。また隣国の韓国は日本より二三位下である。
そもそも幸福の価値基準をどこに置くかは、個人によっても差異があるだけでなく、主観的な面がある。国連のデータは当てにならないという見方もあるだろうが、客観的に一つの評価として受けとめることもできるだろう。
上で基準にしている幸福度に照らせば、日中韓の三国の幸福度、生活実感として抱くことの出来る感覚が大差が無いという所に東アジア的な共通点が何かしらあるのかもしれない。
GDPでいえば、世界第二位の中国の幸福度が第三位の日本よりも低いのは、経済的な活力だけで幸福度高まるわけでもないということであろう。しかし、13億とも14億とも言う人口のことを思うと幸福度を高めることは並大抵ではない。
良好な統治という場合、核兵器を保有していることによる安心度と不安心度などなど統治のありようも考えてみると更に複雑になる。
大日本帝国憲法や教育勅語を統治の理念として評価している人から見れば、日本国憲法を統治の理念とすることを不幸とは言わないまでも、幸福度として覚えることのできない人にとっては51位というのは高すぎると不満に思うだろう。
中国のように一党独裁の統治体制を是とするか窮屈と感じるか、なかなかに難しい問題である。

無為無策と有為有策 [政治]

石原元知事は「(小池都知事に伝えたい言葉は?)小池にいじめられても、寿命縮められても、俺は絶対に戦う。最後まで。あんな無為無策な知事を置いておくわけにいかないよ」と、強い口調で、小池知事に「いじめられても、最後まで戦う」と高らかに宣言。(Fuji News Network)
「あまり体調(がいい)とは言えないけど、とにかくできるだけ短時間にしてもらって、質問あったら要点を聞いて答えることを答えようと思っています」(石原慎太郎元都知事)

 体調不良を理由に予定の3時間から1時間に短縮するよう要請していることについては・・・

 「医者がとてもじゃないけど1時間にしなきゃ無理ですと。医者も同伴してくれますから」(石原慎太郎元都事)(TBS系)
戦うとか、いじめられているとか、都合のいい感情に走って問題をすり替えているのは、石原慎太郎元都知事の常套手段のようである。都政を与っていたという自覚が全くない発言だけは終始一貫している。長期にわたって都政を与っていたら、失政もあったかもしれないとの自省もないのが不可思議至極である。
最後まで戦うと言いつつ、医者の介添えを求めて、時間短縮を願い出ている。一回の時間短縮を求めるなら、間を措いて何回かに分けてでも疑問に答えるべきであろう。それが、戦い方ではないか。命の惜しい侍もいて当然だとしても、果たし合いという認識ならば、それ相応の対応をしたらよさそうに思うが、それもできない。
有為有策の結果が無為無策と問題をすり替えた事態を招いているとの認識すらない。無為無策の中身を問題にする前に、有為有策の中身を語る責務があることが問われているのである。
補足すれば、無為無策は、為す無くして策無しであるのに対して、有為有策は、為す有るは、策有ればなり、ということである。
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小久保監督の心境 [プロ野球]

何とか6戦全勝で米国での二次決戦に臨むことができて、小久保監督は、ホッとする暇もなく指揮官としてあれこれ作戦や選手の調子を考えていることだろうと思う。
ただ、かれが「負けたら日本におられない」と思い詰めた気持ちを語っていた。恐らく日本の試合で負けた時のことを思い巡らしてそんな切羽詰まった心境になっていたのであろう。尤も言葉としてその心境を吐露しているので、若干はそのカタルシスも和らげることが出来た心情に至っていたのであろうとも解することができる。
しかし、試合の合間にベンチで下を向いている姿が写し出されるのをみていると、重圧の凄まじさが伝わってくる。
WBCで負けたところで、國の存亡に関わるほどのことでもない。万人単位の人が生活をかけている大企業の破産ほどの影響すらないと相対化してみることが心理的負担を軽減する一方策のような気もする。
國の存亡を賭け、百万単位の兵士と老若男女を問わず、国民が生死を賭け、生活の根底を覆されたり、原発事故のために故郷を離れて遠く避難し、仮設住宅で万単位の人が大震災から六年も経ても生活をしていても、一国の宰相は、東京オリンピック招致に当たって、放射能はアンダーコントロールされていると虚言を言い募り、先日の追悼式典では原発事故にさえ言及しなかった。籠池泰典理事長都の関係や、日報問題で示している稲田防衛相の心臓も毛が生えないほど堅牢鉄壁に作られているように見える。
安倍首相と稲田防衛相を右総代として挙げたが、なべて権力を玩ぶ政治家というのは、絶対的権力者の秦の始皇帝のように、諫言した忠臣の胸を裂いてどんなに成っているのだろうかと実見したと同じように、食事も喉を通らない、「負けたら日本におられない」という小久保監督の心臓を割いてその中を覗いてみたいのではなかうか。

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