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米中の覇権争いへの妄言、願わくは妄讀せよ。 [政治]

中国が多額の経済援助をしているジブチに軍事基地を作っているという報道を見た。アメリカの基地と近接しているという。
トランプ大統領は軍事費を10%増額する考えを述べている。中国が尖閣諸島を睨んで軍事施設を着々と強化しているということもアメリカの宇宙衛星が捉えていると報道された。
トランプ大統領の戦略顧問でもあるナバロ氏の「米中もし戦わば」を読むと、米中の覇権争いというよりも、中国の覇権意欲は相当なものであると推察せしめる。軍事力の強化は格段に進んでいるようである。
トランプ大統領は環境問題などの現地住民の反対を強引に押し切ってでも、シェール石油のパイプラインを敷設する意向を示している。米中が戦った時のエネルギーの確保を狙ったもののようにも思われる。
中国がジブチに軍事基地を作っているのも、南沙諸島の支配権を確立しようとしている意図も、中国が中東の石油の輸送ラインを確保するためであることは明白である。中国は石油を輸入に頼っているからである。
習近平主席は令嬢をハーバード大学に留学させていることについて、いろいろ取り沙汰されているが、妄想すると、戦国時代の人質としての役割のような点があるのかも知れない。
米中が戦端を開けば、どちらの國が先に核攻撃を仕掛けるかは予断できないが、その性格言動から察するに、トランプ大統領は核兵器のボタンを押すだろうと臆測している。そうなれば、中国は中国で北朝鮮の大陸間弾道ミサイルなどの核兵器を重要な軍事力として味方に付ようとすることも充分予測できる。
アメリカ第一主義のトランプ大統領と、西欧列強の蹂躙に対する根深い怨嗟、怨恨に加えて、古代以来の「普天の下、王土に非ざるは莫し」という中華至上の中華意識が衝突する危惧が杞憂でないことを真に願うほど米中の覇権争いには累卵の危うさを感じさせる。
このような杞憂に近い妄想をしつつ、我が国の40%未満の食糧自給率、10%にも満たないエネルギー自給率を振り返ると、この日本を襲ってくる外敵を想像できなくなるが、米中が戦った場合、日米安保体制が攻撃の対象になることは容易に想像できることのように思う。その時を想定した舵取りを託するに足る政治家を残念ながら、我々はもっていないように思う。

サッカーのヘディング [スポーツ]

昨日からJリーグの公式戦が始まった。
テレビの国際ニュースかで、イギリスのプロサッカー選手が、引退後、脳に異常が生じたのは、現役時代のヘディングによる脳の損傷が原因であるという報道を見たのを思いだした。
その昔、大学生のサッカーの強くて、社会人と日本一を争っていたりしていた頃、今は跡形もなくなっている西宮のサッカー競技場で八幡製鉄や古河電工の試合や、慶応大学と関学との大学選手権を見たことを思い出す。その当時、ヘディングをする選手やプレーは殆ど見なかった。次第にヘディングが重要なプレーになるにつれて、大学生で眼鏡を掛けた選手が巧みにヘディングをしていたことをやけに覚えている。しかし、今のようにヘディングであのボールを二十メートルも三十メートルも遠くに飛ばしたり、ヘディングシュートなどの場面は見た記憶はない。そんなに多くの試合を観戦していたわけではないが。
当時のボールは皮革製だったろうから、ヘディングの衝撃度は今のような合成皮革のボールに比べて遙かに強かっただろうと推測する。ラグビーでも皮革製の楕円形のボールは、雨中戦などでは、遠くに蹴ることなど難しい状態であった。
サッカーボールの材質が変わってヘディングの頻度も増えていて、コーナーキックなどでヘディングシュートを放つなどは普通のことになった。守備側の選手と競いながらのヘディングシュートなどは相当な衝撃を選手の脳に与えていることは間違いない。コースもヘディングで自由自在に為されている。足で蹴るよりその精度が高い面もあって、足と同じようにヘディングプレーは重要になっている。
日本でも引退後の選手の脳がどのような損傷を受け、障害を惹起しているかを組織的に研究して、その防止を考えるべきであろう。
柔道でも受け身の際の脳の振動はすさまじいものがあって、フランスの柔道界では、その予防や対策に注力しているという報道を見たことがある。日本ではそうしたスポーツ競技で知らないうちに将来の疾病や傷害をもたらす問題について、研究や対策が大々的になされることを徹底化すべきであるように思う。
スポーツが職業として来ているのだから、それこそ労災認定の対象にするぐらいのことを考えるべきなのかも知れない。生命保険にも容易には入れないのがプロスポーツ選手でそれほど危険な職業従事者だと言えるのである。好んでその道に入っているのだかということでは片付けることは出来ないだろう。
競技能力が劣っていて、戦力外通告を受けるのは覚悟のことであろうが、競技中の事故やプレーによってもたらされた後遺症などへの対応も考えるべき時代に来ているように思う。
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森友学園への格安な払い下げと納税意識 [経済]

丁度確定申告の時期である。確定申告をして納税者が些細な計算ミスなどで過少申告をすると、それが1万円にも満たない場合でも、修正申告を求められる。税法の解釈を巡って法人と税務当局とが見解の相違で延滞税とか重加算税が課せられるという報道をよく目にする。
今年の税務申告で、納税者が、明確にその根拠を明示することもなく、8億も9億も國の財産を時価より低く譲渡していることを盾にとって、納税について俗な言い方をすれば、いちゃもんが付けられたら、所轄の国税当局は、所管大臣である財務大臣に一つ一つお伺いを立てて、根拠が明確でもなく領収書が不十分なのは、既に領収書を廃棄してしまったからと言っているが、納税者の言い分にはそれ相当の根拠があるので、これだけしか徴税しませんでした、と報告するというようなことになれば、麻生財務相は容認するのであろうか。
過少申告をしたりする企業や個人の所得の把握に対して、それを査察して摘発する税務官、所謂マルサも仕事への情熱を削がれるのではないかと危惧する。

子の慎む所は、斉・戦・疾なり(論語・述而篇) [言葉]

孔子が慎む上にも慎んだのは、斎戒に臨むときの心遣いや所作、戦争、疾病である、と解釈される。
現代人でも神社仏閣に参拝するに当たって、大抵の人は水で手を清めて拝礼したり、柏手を打つのが、神仏に接する際の心構えである。
神に祈りを捧げるに当たっては、祈り手の心や身を清めることが慎むということなのである。慎むとは自らの立つ場所を小さくしておくと言うことである。神の前にあってはどんな尊大な人でも身も心も小さく保つものであろう。それが慎むという営みである。
戦争と疾病は言うまでもなく慎重な上にも慎重に臨むべきことである。
戦争について、朱子は、「戦いは則ち衆の死生、國の存亡焉(これ)に繋(かか)る」と注している。大勢の人々の生き死にが懸かり、引いては国家の存亡を左右するのが戦争だと敷衍して解釈している。多くの人々の生き死にが懸かり、国家の存亡が繋るというのは、戦争で勝った國も負けた國もどちらにとっても多くの人々の生死が繋っていることを認識しているから、敢えて国家の存亡だけに囚われることなく、「衆の生死」という言葉を補って戦争の実態を解説しているともいえるだろう。
古い注釈がこの章句に対して「此の三者は、人の能く慎まざる所にして、夫子(注:ふうしと読み、孔子のこと)独り能く之を慎む」と注しているのを意識して、朱子はより深く根底的に解釈しているのである。
何項目か前に記した朱子の合理性を具体的に示さんがための管見である。
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籠絡された安倍首相夫妻 [政治]

安倍総理は森友学園の理事長が許可なく安倍総理の名前を使って寄付金を募っていたとして強く抗議するとともに、昭恵夫人が4月開校予定の小学校の名誉校長を、辞任したことを明らかにしました。

 「(ホームページにあった)安倍晋三内閣総理大臣夫人の挨拶が消えております。奥様も含めて広告塔のようにホームページに出るのは控えたらいいと言ったんですけども、この間こういう指摘を受けてですね、安倍昭恵夫人はこの学校の名誉校長をお辞めになったということでしょうか」(民進党 福島伸享衆院議員)

 「名誉校長を引き受けていることによって、そこに通う子どもたちや、ご両親にかえってご迷惑をかけ続けることになるので、辞任をさせていただくということを先方に申し入れたところであります」(安倍首相)

 安倍総理はこのように述べ、昭恵夫人が名誉校長を辞任したことを明らかにしました。また、森友学園が安倍総理の名前を使って寄付金を募っていたことについて、「驚がくした。全く存じ上げなかった」と述べ、断ったにもかかわらず名前を使われていたことについて、「大変遺憾である、残念である」と強く抗議し、「森友学園」の籠池理事長が「申し訳ない」と謝罪したということです。野党側は引き続き、この問題を厳しく追及していく方針です。(24日11:36)(TBS系)
安倍首相も夫人も名前を利用されたのだと思う。夫人は森友学園の教育理念に賛同したというが、それは効能書きを信じて市販の薬を飲んだようなもので、服用して自らの身体に合わなかったので、服用するのを止めたというのに類するようなことである。
寄付金集めのために、首相が名前を使われたのも、安倍首相の言うように首相自身は全く関与していないことで、後で知って驚愕して抗議したと言うのもその通りだろうと思う。それに対して森友学園理事長で日本会議大阪支部の役員の籠池氏が謝罪したと言うのもその通りであろう。
問題は、日本会議の枢要な地位にある人物が寄付金集めのために本人の諒解を無視して、安倍首相の名を強引に利用出来ているということである。首相夫人が名誉校長を受けたのも森友学園によかれと思ってのことであろうと思う。
抗議で謝罪したというが、籠池氏が安倍首相と以心伝心の関係があるというか、無断で名前を拝借しても問題になれば大目に見て貰えるだろうという一種の同志的な関係があって始めて、国家の最高地位に居る首相の名を使えたのである。しかも首相の言によると直接籠池氏と会った記憶はないという間柄のなかでこうした名前の利用が為されているのある。相互に甘えの関係が成り立っている言ってもいいだろう。日本会議の面々は日本の政治を動かすことが出来るという隠然たる勢力であることを見せているのである。
しかもこの学園の幼稚園では児童虐待が行われていたとか、園児に教育勅語を暗唱させるのが教育理念だという。稲田防衛大臣は教育勅語に理解を示しているのも、今の安倍首相周辺の思想的背景が推察される。
森友学園の教育理念も教育勅語を尊重し、皇室を尊崇するとしている。
日本会議も礼節を重んじるということを標榜している。その思想運動の核心が韓国や中国を蔑むことを根幹にした狭量な愛国主義、愛国心の涵養であるようだが、そもそも礼節とは何か。礼とは何かを思想史的に理解しているのか疑問に思う。
礼という概念は中国に起源を持っていることは言うまでもない。それに相当する大和言葉をキチンと当てはめてみることから日本文化の本源を語るべきではないかと思う。
教育勅語の典拠は孝経を初めとした儒教の教義が中心になっていることは一読すれば理解できることである。それがどうして日本人本来の精神としての思想的拠り所になるのか、理解に苦しむ。
本居宣長も漢心を排することに腐心して、古事記伝を書いているが、そもそもどれだけ漢心を克服できたのか覚束ないように思える。三重の人宣長は近江聖人中江藤樹の思想を克服したかったための思想営為として漢心を排することに心血を注いだのだろうと常々思っている。
日本精神を尊崇する立場に立つ人は、古事記や日本書紀を一つの拠り所にするが、そもそもこの二つの歴史書の命名と叙述スタイルは、前者は司馬遷の史記に範を取り、後者は漢書、後漢書、魏書、宋書、梁書、隋書などの歴史書に範を取っていることは間違いない。史記は、司馬遷が父の遺志を継いで、史官になぞらえて書いた私的な歴史の記述であるが、古事記は太安万侶が勅命を奉じて著したものでその意味では朝廷公認の歴史叙述である。日本書紀についても高名な中国研究者は既に、日本書の紀というのが書名の由来だと喝破されている。
中国や朝鮮の文化や文明に学んだ日本が独自に培った文化や思想が日本固有の文化や精神だろう。
中国の制度を含めいろいろな文化的影響を受けた中で、宦官の制度だけは日本が受け入れなかったと言うところに、日本人の精神的、もっと根源的には生理的な独自性の一つが存するのではないかと思っている。そのことを考察することが日本的なるものを明らかにする一つの関鍵になるようにも思うが…

少し論理が飛躍するが、その意味では、自主憲法制定なくして真の独立無しというような、敢えて言えば、ご託宣は、彼らの意識から言えば思想運動は、日本的な文化受容の態様や思惟とはかけ離れているように思われてならない。




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北朝鮮の弁明 [言葉]

【クアラルンプール聯合ニュース】北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の異母兄、金正男(キム・ジョンナム)氏がマレーシアで殺害された事件で、カン・チョル駐マレーシア北朝鮮大使は20日、事件の捜査が政治的な目的で行われていると主張し、「マレーシア警察の捜査結果は信用できない」と述べた。

 カン大使は同日、マレーシア外務省に呼び出され、非公開の会議を行った。

 マレーシア警察は19日、記者会見を開き、北朝鮮国籍の容疑者を特定したことを明らかにし、正男氏の殺害事件に北朝鮮が関与している可能性を示唆した。

 カン大使は韓国で起きている政治の混乱や米国の最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD、サード)」の在韓米軍配備をめぐる議論などを取り上げ、「今回の事件で唯一、得をするのは韓国」と述べた。

 また、「マレーシア政府は韓国政府と結託し、北朝鮮が(事件の)背後にいると言っている」として、こうした主張が間違っていることを国際社会で証明できると主張した。

歴史上で生起した事件はどんなことでも、何が真相なのかは全く分からないが、北朝鮮の大使の釈明や解説は、日本の南京虐殺はなかったと主張する愛国史観に立って発言している人達の発言や歴史叙述を聞いているようで興味深い。彼らはこの暗殺事件についてどのように論評するのであろうか。
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国有地払い下げ問題と安倍首相の答弁 [政治]

衆院予算委員会で民進党の福島伸享氏の質問に答えた。学校法人との関係をめぐり、首相は「私や妻が(小学校の設置)認可や国有地払い下げについて、(自身の)事務所も含めて一切関わっていないことは明確にしたい」と述べた。

 妻が名誉校長についていることについて、「妻から森友学園の先生の教育に対する熱意は素晴らしいと聞いている」と説明。また、同学園が「安倍晋三記念小学校」の寄付者銘板に名前を刻印して顕彰する、との文言で寄付金を集めていたことを知っているかとの福島氏の問いには、「いま話をうかがって初めて知った」と答弁した。

 そのうえで「私の考え方に非常に共鳴している方から、(2007年に内閣総辞職して)首相を辞めた時に『安倍晋三小学校にしたい』という話があったがお断りした。まだ現役の政治家である以上、私の名前を冠にするのはふさわしくない。私が死んだ後であればまた別だけれど、私の郷土の先輩である、例えば吉田松陰先生の名前をつけられたらどうかという話をした」とも語った。

 「約9億円と不動産鑑定で評価されていた土地が約8億円もディスカウントされてしまったのはなぜか」との福島氏の問いに対して、財務省の佐川宣寿理財局長は「不動産鑑定士に更地の価格を鑑定してもらい、(国有地を管理していた)大阪航空局が積算した(ゴミなどの埋設物の)撤去費用を差し引いた時価で、適正な価格で売っている」と答えた。

 売却された土地には、今春に同学園が運営する小学校が開校する予定。理事長の籠池泰典氏は憲法改正を求めている日本会議大阪の役員。ホームページによると、同校は「日本初で唯一の神道の小学校」とし、教育理念に「日本人としての礼節を尊び、愛国心と誇りを育てる」と掲げている。(南彰)朝日新聞社

この記事を読む限り、不可解、不可思議さを覚える。
言葉尻を捉える訳でもないが、「妻から森友学園の先生の教育に対する熱意は素晴らしいと聞いている」と説明。
認可されて開校の準備段階なのかどうかは判然としないが、学校の先生の教育に対する熱意が素晴らしいというのは架空話ではないかと指摘できる。担当教員の名簿でも提出されて認可待ちであったとして、教員が一堂に会して名誉校長たる首相夫人に教育に対する理念を述べたのかどうか。一人一人の口から面談して話を聞いたのかどうか。名誉校長はそのような実務はしないはずである。
教員名簿が届けられていないとっすれば、教員の熱意を称賛するとは神業である。いくら神道の理念に基づく学校であっても神がかりな答弁としか言い様がない。
「私の考え方に非常に共鳴している方から、(2007年に内閣総辞職して)首相を辞めた時に『安倍晋三小学校にしたい』という話があったがお断りした。
日本会議は今や政治を動かすまでの大きな組織になっていることを端なくも見せつけているのが払い下げ問題として出ているのであろうが、思想的に近い安倍首相と両々相俟って政治を差配しようとしている延長線上に安倍晋三小学校にしたいとの慫慂があったのであろう。安倍首相が吉田松陰先生の名を付けられたら、と郷土の先輩を顕彰したつもりでいるが、松陰先生は草葉の陰から何と言うであろうか。臆面もない話を国会の場でするものである。
それにしても国有財産を入札もせずに払い下げてもらって唯々諾々としているのが日本人としての礼節だというのだから、日本会議の精神も底が知れているとしかいえない。
日本会議の広報担当とも情宣担当とも言われる櫻井よしこ氏は、元首相村山富市氏の反省談話に底の知れた難癖を付ける前に、日本会議の金銭感覚とその行使の仕方について合理的に説明するのが国民の支持を得る近道ではなかろうか。国民を有耶無耶の内に自らの思想的政治的支配下に収めようとしないで。
そもそも日本人としての礼節とは何か。宣戦布告をすることもなく真珠湾を奇襲することなのであろうか。


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共謀罪と治安維持法 [政治]

犯罪の計画段階で処罰する「共謀罪」の要件を変え、「テロ等準備罪」を新設する法案をめぐり、法務省は16日、「正当に活動する団体が犯罪を行う団体に一変したと認められる場合は、処罰の対象になる」との見解を明らかにした。これまで政府は、「一般の市民は対象にならない」としてきたが、捜査当局の解釈や裁量によっては対象になることが明らかになった。

 衆院予算委員会の理事懇談会で、法務省が文書を示した。法案はまだ国会に提出されておらず、「テロ等準備罪の具体的内容は検討中」と前置きしたうえで、対象となる「組織的犯罪集団」については「結合の目的が重大な犯罪などを実行する団体」という趣旨で検討していると説明した。

 加えて、「もともと正当な活動をしていた団体」も、その目的が「犯罪を実行することにある団体」に一変したと認められる場合は、組織的犯罪集団に当たり得るとの見解を示した。(朝日新聞社)

そもそもどのような犯罪でも一般市民が犯す所である。共謀罪が一般市民に及ばないというのは成り立たないのであって、今更説明をされるまでもあるまい。
この法案では、犯罪の構成要件を今後検討して国会の審議に付することになっているようである。どのような事案を共謀罪にするのかについて、安倍首相は、オウム真理教を例に挙げている。
そもそもオウム真理教が宗教法人として認可されたのは、当時の東京都の副知事がこの組織の有りように疑念を持っていて、宗教法人として認可しない判断をしていた。その副知事が海外出張して不在のときに、時の都知事(名前は失念しているが)が宗教法人として認可したという経緯があったはずである。そうした組織を事例にして共謀罪立法の正当性を論ずるのは説明不足も甚だしい。そのことは暫く措くとして、「共謀」という漢字の意味を理解しておく必要がある。
共謀は訓ずれば、「共に謀る」ということである。
この「共に」というのは、一緒にとか、ぐるになってとか、集団になってとかというように複数の人員が集まっている状態を表していると理解されがちであるが、それだけではない。
例えば子供が保育所に落ちた母親が日本滅べ!とつぶやいたことが話題になったことがある。この無念の表白も共謀罪を構成する要件を持っていると言うことだって出来るのである。
共に謀るということは、謀る者と謀られる者という関係の中で成立することは言うまでもない。法案を作成するに当たっては、勿論同じ思想的意図を持った者同士が相集まって意思を疎通させて、不穏な行為に走ることを謀るということを想定しているであろう。その場合でも、中心になる人物とそれに同調同意する人との関係は謀る者と謀られる者との関係が前提にある。
従って、日本亡びろ!という無念のつぶやきも同調者を求めているというように判断されれば、共に謀る動機つまり国家転覆に対する共謀の動機があると認定して共謀罪が適用されないという保証はないのである。国家非常事態宣言などが発令された状態になれば、集団や組織的な反政府勢力でなくても、反政府的な言辞を弄しただけで共に謀ろうとする動機や意図があるとして検挙されることもあり得るような内実を含む蓋然性があると言ってもよいだろう。
この法案に賛同した国会議員が自らの定めた共謀罪の対象者にならないと思っているとすれば、随分と楽天的なように思える。想像力の欠如を示していると言えるかも知れない。このような法律が成立しているということはより大きく自由や人権を圧殺する政治権力が誕生する時代が出現しても不思議ではないことを含意しているであろう。
上述のようなことは杞憂で極論を展開している思われるかも知れない。戦前の治安維持法治下にあっては、戦況の不利を示唆しただけで、特高や憲兵に睨まれるだけでなく、検挙された事例は枚挙にいとまがないだろう。
表面的には、治安維持という公的秩序の安寧を目的としている法案名に比べれば、この共謀罪は個人の動機や意思に踏み込んでそのまま取り上げることもできる点では、個人の自由意志や自由の表現をより根底的に圧殺する内容を持っていると言うことが出来る。
自民党の改憲草案が基本的人権を抹殺しているのと思想的には通底していること言うまでもない。こうした自由と基本的人権抑圧の思想に自民党や公明党、維新の党員の中に危機感を表明する人がいないような事態こそが一層人権感覚の麻痺を感じてしまう。

社名の付け方 [言葉]

まだ英語も習っていない子供の頃に、水道のことをヒネルトジャーといったり、犬小屋をケンネルと言ったりして言葉遊びをしたが、この頃の会社名にはこれに類した命名が目に付き、興味深い。
物流倉庫の火災が鎮火していないで燃え続けていると報道されるアスクルは、「明日来る」を捩っているのだろうし、ASKULとローマ字表記をして尤もらしい英語にみせている。
大手製薬会社のアステラスも「明日を照らす」をもじったものであろう。野菜通販のオイシックスも美味しいを母体にしてOISIXとさも英語のように見せかけてローマ字表記している。

江戸時代以前には、和製漢字が幾つも作られている。峠や裃などはその代表例である。漢字が主流となっていた時代にこうした漢字が考案されたのに対して、英語が主流になっている現代では上に挙げたような命名が登場していると言うことであろうか。時代の知性や意識の向かうところがどこに向いているかが分かって面白い。

その昔、縦割り行政の弊害で住民サービスが批判されていた時、地方自治体の中には「すぐやる課」などを設置したりしている。さすがにこれの英語表記はないが、「直ぐやるか!」と些か面倒がった響きで理解することも出来るが、住民サービスの重視を明確にしたものであろう。
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譲位一代論と基本的人権抹殺の自民党の思惟 [政治]

今上天皇の譲位のお気持ちを汲んで譲位を認めるが、自民党では今上天皇一代に限る案がまとまったという。議論の中身や細部には不案内だが、何故譲位を一代限りに止めようとするのか分からない。
この案が法制化されると、爾後の天皇を制約することになりかねないであろう。
現行憲法の許では、そもそも天皇とて基本的人権が保証されていることは自明なことである。自民党の改憲草案では現行憲法が明記する基本的人権の条項を抹殺しているとされる。この考え方と譲位を今上天皇一代に限るとする考え方には明確な国家権力優先、優しく言えば、公的機能の優位を前提にしていることは明白であって、天皇と雖も自らの意思に基づく譲位は許されないということを含意しているのであろう。逆を言えば、戦前軍部が戦争遂行を迫って、昭和天皇に退位を迫るような状況もあったとか言われているような、時の権勢や権力にとって望ましからざる天皇の私的意向や感情を許容しない、極端に言えば退位すら迫ることもあり得るというある意味不遜な深意が隠されているのかも知れない。
皇室を尊崇し、天皇制維持を強固に主張する日本会議のメンバーの一人の意向などが色濃く反映しているのかも知れない。天皇制は絶対的に維持するが、即位している天皇の尊厳や意思については権力の差配下に置きたいとする意図が隠されているように思われる。制度の恣意的運用といってもよいかもしれない。
国民統合の象徴としての天皇及び天皇制の問題について、天皇家には姓がないことに関係づけて項を改めて卑見を記したいと思っている。