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五輪会場問題 [政治権力とスポーツ]

東京都の小池百合子知事は「都民ファースト」の目線で五輪大会経費の削減と「復興五輪」をキーワードに競技会場計画の見直しを仕掛けた。経費削減では国際オリンピック委員会(IOC)と思惑が一致して会場整備費の圧縮に一定の道筋をつけた格好だが、目玉の「長沼ボート場」(宮城県登米市)での競技開催は断念を強いられた。バレーボール会場の決定はクリスマスまでの先送りが認められたが、提案する横浜アリーナ(横浜市)の活用はまだ不透明な情勢で、小池氏は正念場を迎えている。(中略)
「あとしばらく時間を頂戴したい」。小池知事は、既存施設の最大限の活用などをうたったIOCの「アジェンダ2020」を持ち出して横浜アリーナ案の経緯に触れ、確認したいことがあるとして、クリスマス時期まで結論の猶予を求めた。IOCのジョン・コーツ副会長を含め了承されたが、森会長は「ちょっと私からいいですか」と切り出した。

「今日の時点で有明か横浜か結論が出せない。クリスマスまでにまだ何をおやりになる?」(産経新聞)
テレビで両者のやりとりが映されていたが、森会長のイケズな物言いにはこの人物の人間性が露見していたのではなかろうか。アスリートファーストとというのは、正に利権第一だということを言っているようなもので、少しでも経費の負担を軽減させようとする意思の欠片も見えなかった。
五輪の本部でも二兆円以内でも巨額である、経費が出来るだけ懸からないようにといっている。そもそも二兆円という金額の意味すら分かっていないのがJOC委員は言うに及ばす森会長や施設の充実を要求するスポーツ団体の面々である。生まれてから死ぬまで一から勘定して2兆まではとても数えられる数ではないのである。二兆円と一言でいえば、一、二秒もかからないが。
一時間は3600秒で一日は86400秒である。百歳まで生きても、31億5360万秒数えなければならない。何人かが集まって数えてやっと2兆という数字に達するのである。
一万円札で二兆円を数えるとして、銀行のベテラン行員でも相当な時間を要するだろう。森会長が自らで数えるとなると、一日や二日で数えられないだろう。一億円を千円札ででも数えてみるとよいのである。血税というのはそれほど思いものである。それをいとも簡単にというより無神経に人のものであるから何の痛みも感じずに平然と施設建設のことが言えるのである。イケズという所以である。
小池氏もいざとなれば、都として五輪開催を返上するくらいの対処をすべきであろう。一度ガラガラポンをすることで新たな為政の道が開けるのではないかと思う。
もともと大震災の復興を後回しにして、復興税だけは徴収しているが、五輪を誘致したところに森会長や石原知事などを蔓延らせてしまったのである。蔓延っていた蔓がますます蔓延ってしまったのだろうが。

パリーグのプロ野球表彰選手選考の不整合 [プロ野球]

昨日のゴールデングラブ賞の表彰式で今年のペナントレースに関わるイベントは凡て終わった。表彰式すら放映してイベント化するのも常態化してしまっている。
ところで、パリーグの最高殊勲選手に大谷投手選出されたのは、当然であろう。セリーグの新井選手の最高殊勲賞は異論もあるであろうが、記者の情感に負うところ大きかったと推察する。
同じ点で言えば、ベストナインの投手部門で大谷投手が選ばれたのも、印象度の強さという点が顕著である。規定投球回数に達していない投手がベストナインの投手部門に選ばれた例はあるとしても、先発投手とは異なって考えるべきであろう。規定は規定である。
また、新人王にハムの高梨投手が大学出身で三年目にして受賞したのは規定に合致したという点では異論を挟むことはできない。そしてハムの育成に対する評価も云々されたりしている。
しかし樂天の茂木選手の方が純粋な新人だという点では、高梨投手よりは新人王を受賞して然るべきだったように思う。
プロ野球担当記者が中心になっての投票だと言うが、片方では規定を越えて「超法規的」つまり印象度という数値化できない点を根拠にしているかと思えば、片方では規定を遵守しているとはいえ、新人に毛の生えた選手、つまりプロの世界で充分訓練を積んだ選手を選出している整合性を欠いた選出に些か腑に落ちない点を感じている。
世界選手権や五輪の選手選考でも成績よりも過去の実績という曖昧な、どちらかというと情緒的選出が見られるのと同じであろうか。
そもそも新聞記者はペンの力を借りてかなり恣意的な記事を書いたりしているのもいるし、担当球団との距離の問題もあるだろうから、、今回の投票行為の不整合性も宜なる哉とも言えるが、どの選手にどのような理由や根拠で投票したかを公開すべきなのかもしれない。少なくとも投票の点数を加算するだけでなく、投票後に記者間で議論をして最終的に決めるのが筋ではないかと思う。

トランプ氏は虎変か豹変かはたまた妖変か [政治]

トランプ氏が大統領選挙で勝利を収めた後での、発言内容は、選挙期間中のある種品性を欠くとも言えるものとは大きく変貌して人々を惑わせても居るほどである。
当選後の各国首脳や共和党幹部とのやりとりなどを聞いたり、或いは発言内容をみても、彼の保護貿易の考え方とか、その他の重要な主張は必ずしも大統領権限だけで実行できるものではなく、議会の承認を得なければならないことも多々あることを思えば、共和党が上下院議会を支配していることを前提にして過激な発言していたのではないかと思わせる。勿論米国第一の考えを基本にしていることはいうまでもない。
昔から地位が人を作るとも言う。奔放な発言は市井の時のもので、地位を得るとそれ相応の現実的対応をするということなのであろう。くそまじめに彼の奔放な発言を受けとめすぎていたのが当選を予想しなかった所謂専門家諸氏であったのかもしれない。
大人は虎変し、君子は豹変すというが、虎変なのか豹変なのか。地位が人を変えるということには違いない。或いは、不動産王と言われるほどの成功者であるから、ビジネスライクに実利第一で妖変するのかもしれない。

国民の分断 [教育]

2011年の東京電力福島第一原発事故後に福島県から横浜市に避難した男子生徒(13)が、転校先の市立小学校でいじめを受けていた問題で、いじめ防止対策推進法で「重大事態」にあたる金銭被害の疑いなどを学校が把握したにもかかわらず、学校と市教育委員会が、事態を認定するための「協議」をしていなかったことが、市教委などへの取材でわかった。
 文部科学省は同法の趣旨に反する経緯を問題視しており、市教委は内部調査を始める。
 市教委などによると、生徒が不登校になったのは小学5年生だった14年5月。生徒は「(東電から)賠償金をもらっているだろう」などと言われ、ゲームセンター代などを負担し続けていた。学校は6月、親からの相談で支払いが100万円を超える可能性を認識したが、校内会議では「いじめではなく非行かもしれない」といった議論に終始し、重大事態の認定については協議しなかったという。(YOMIURI ONLINE)
水俣病の被害者に対しても、多額の補償金を得た被害者に対しても、同じような誹謗中傷がなされた。
小学生がいじめをする考え方の背後には、周囲の父兄などの普段の会話や中傷に基づいていることがしばしばある。
教師が、いじめとして認識できなかったのは、いじめをした児童と同じような意識が潜在していたからかもしれない。
このように国民の間に悲惨にして不幸な事態が生ずるとそれにともなって、考えてみれば、同じような境遇にいつ何時陥るからと言う不安感が裏返しになって、目の前の不幸な境遇に居る人たちを一層奈落の底に突き落とすような誹謗中傷をするのが世の常であるようだが、それを密かにほくそ笑んでいる居る人達がいることを忘れてはならないだろう。為政者の分断支配に乗せられて、ますます市井の人々は不幸を増幅しているのではないであろうか。天に唾するものはいずれは己に帰ってくるということであろうか。

稲田防衛相の記者会見 [政治]

「今年3月施行された安全保障関連法に基づき、自衛隊の任務に「駆けつけ警護」が新たに付与される。11月15日午前、政府が実施計画の変更を閣議決定した。」(BuzzFeed Japan)ことを受けて、記者会見に臨んだ稲田防衛相は一刻も早く閣議決定を報告したかったのかも知れないが、欣喜雀躍とまでは言わないが、小躍りするように駆け足で記者会見に臨んでいた。この様子を見て自らが最終的に任命権を持ち所管する自衛官の、場合によっては、生死に関わる懼れのある重大な案件の報告の仕方としては異常に映って、何とも違和感を覚えた。武器使用もあり得る派遣という重大事である。手柄話を報告するようなことでは決してない。
法的に見ても憲法に抵触する懼れ多分にあることが指摘されるような事案である。憲法を守ることすら、念頭にまるでない意識が端的に表れていたと言ってもよい。閣議がすんなり通ったことも異常であるが。
稲田防衛相がアリバイ証明を求めて駆け足で視察したスーダンの内戦の状態状況の真相がどうであるのかも分からない中で、国連の要請するPKOであっても、スーダンの内戦に関わることは、民族自決の大前提を壊しかねない自衛官の派遣である。国連自体が際どい民族自決の原則に違背して内政干渉に近いことをしているとも言えるのではないかと疑念を抱いている。


保守論客の譲位反対論 [政治と法律]

保守派の渡部昇一上智大名誉教授は、皇室の最も大事な役割を祭祀(さいし)とし、国事行為などは皇室典範に規定がある「摂政」による代行が望ましいとの考えを示し、退位に反対した。月刊誌の寄稿などで退位に柔軟な姿勢を見せていた桜井氏もこの日は明確に反対し「陛下への配慮は重要だが、国家の在り方と分ける必要がある」と主張した。

 笠原英彦慶応大教授は「二重権威」が生じる恐れなどから反対を表明。(毎日新聞)

「皇室の最も大事な役割は祭祀」というのは、皇室内部の問題であって、憲法の規定する象徴の役割とは無縁であろう。今回の譲位問題の発端は、憲法に規定する象徴としての国事行為遂行の問題であるから、退位反対の論拠としては不適切であるし、皇室典範にあるとは言え、摂政の地位は憲法上規定されていない。
桜井氏のいう「国家の在り方と分ける必要」というのも、国家の在り方の理念を憲法に基づけないのが、同氏の立場なのだろうから、国家の在り方を同氏は明確に理念化してその中で天皇制と譲位の問題を論ずるべきであろう。自己が恣意的に考えている国家像を根底に於いて天皇の譲位問題への見解は隔靴掻痒の嫌いがあろう。付言すれば、どのような国家の在り方であれ、譲位や退位の問題は生じうる。氏が理念とする国家にあっては、天皇の地位をどのように位置づけるのは別にしてにも、譲位も退位も認めないという厳格な規定を定めるのであろうが、それでも時の権力の恣意によって廃位退位がなされない保証はないだろう。
二重権威というのも、憲法に則る限りその虞れはないのであって、平気で憲法に抵触する懼れがある海外に自衛隊を派遣するするような憲法解釈の拡大を前提にしているとしか言えないであろう。
細部にわたる三氏の論点を知悉していなくて、片言隻句を対象にしているので、誤解の懼れ無しとはしないが、保守派の論客としての反対論には奥歯に物が挟まった感をぬぐえない。もっと言えば、腹に一物背に「荷物」という印象を抱いた次第である。
付記:渡部昇一上智大名誉教授の見解は、「まつりごと」の語源にあるように、祭政一致の古典的な考え方であって、祭政の権能が分離して久しくなっていることを意図的に無視しているだけであろう。しかも、出雲系の神々と伊勢神宮に祭られる神々とは巧みに棲み分けて祭祀を司っていたという日本古代の宗教のありようも無視していると言えるかも知れない。

森喜朗会長殿の小池都知事批判 [スポーツ]

2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長は14日、さいたま市内で開かれた自民党埼玉県連の会合で講演し、競技会場見直しをめぐり、「アスリートファーストでまとめた。そこへ、スポーツや五輪のことをしたことのない方が来て、ガチャッと壊した」と述べ、小池百合子都知事を「何も勉強していない」と批判した。(時事通信)
自分の言葉をもたないので、トランプ氏の「アメリカファースト」を模したつもりなのだろうが、、「アスリートファースト」などとよく言えたものである。「利権第一」を裏返しているようなものである。
森会長が、モスクワオリンピック不参加を決めた時にどのような地位に居て、どのような発言を政府に対してしていたのか、記憶にない。少なくとも強固にオリンピック参加を主張していたという記憶はない。発言力も弱くて声を出せなかったかも知れない。はたまた、政治家は時々の政治判断で問題に対処するという程度の返答が戻ってくるのであろう。或いは、あの時は「何も勉強していなかった。スポーツや五輪のことをしたこともなかった」とでもいうのであろうか。森会長は早稲田のラグビー部に属していたから、スポーツをしたことがないとは言わないだろうが。
今回の東京五輪開催に当たっての、バレーボール協会を含む問題になっている競技連盟の各団体の発言を聞くとスポーツ好きではあるが、選手を含めて彼らの味方をしたくなくなっている。税金を費消することや、政治的判断については判断停止状態にいるように思われることへの深い思慮が感じられないからである。

一票の格差問題 [政治]

弁護士を中心にして、地方と都市の一票の格差問題を各裁判所に提訴して憲法判断を仰いでいる。裁判所は違憲状態との判決を出したり、合憲だとする判決が出されたりと別れている。一票の格差も重要な問題であるが、議席数と投票数との関連についてそれ以上に民主主義の根底に拘わる問題があると思う。
過日のアメリカ大統領選挙でもまだ全体票が確定しないとも報ぜられているが、現段階での集計ではクリントン氏の獲得票がトランプ氏を上回っている。しかし選挙制度の為せる業でトランプ氏が大統領に当選した。
我が国の選挙でも昔からそうだが、現在でも過半数を制する自民党議員の獲得票は総投票数の過半を獲得していない。過半どころか4割にも足りない。にもかかわらず自民党は議会の過半数を制して政権与党になっている。勿論比例代表制による選出議員もいてのことであるが、この比例代表制自体制度的に問題があることは指摘され続けてきている。
選挙制度は政治の問題であって、司法判断の対象にならないことが前提になっているのかもしれないが、党利党略を根底にして定められている欠陥選挙制度について国民の政治参画に拘わる一票の価値の格差問題として合憲か否かの判断を求める事の方がより重要な問題のように思う。

譲位と退位 [言葉]

天皇の譲位問題で有識者会議の見解が二分したと報ぜられた。原理的に考えれば、一人の人間が考えても出てくるような問題点の指摘であろうか。
譲位のご意向を述べられる前に、突然ご不例になられた場合には、国事行為は代行されるのであろうから、現行法で対処できるというのも、ご意向を表明されたという事実や事情を考慮していないことになるように思われる。
退位というのは、一度天皇に即位した場合の表現である。譲位と表現してきたのは、君位を譲る行為は天皇だけのことではないからである。承継順位の第一位つまり皇太子でも、天皇の位に即くことを譲って、第二位の承継者に委ねる場合だってあり得る。古代中国の例に取れば、譲位とはむしろ君位に即くことを望まないことを指す事例が多い。伯夷叔斉などはその典型である。
堯舜の禅譲は、天子の位を有徳者から有徳者へ譲った典型とされる。今回の譲位は、人格の一部を形成する肉体的条件が国事行為を主とする諸々の任務遂行に耐えがたくなっている、「徳」の一部が不十分になっているので、身体的な面を含めた十全な有徳者に位を譲りたいとする内部心意の表明であると言えよう。
勿論日本の天皇は世襲制であるから、天皇の地位は皇太子が承継するのであるが、今回の譲位は禅譲の原理に基づくものであることは間違いない。
今上天皇が譲位を表明されたとはいえ、布衣の地位に身を置いて、塵に同じようとされるご意向はないように拝察される。さすれば、名誉天皇という称号はどうかということも考えて、書いたみたが、天皇の名号を冠するのも憚られるので、「平成宮」を建立して、「平成の宮」の名の下に皇族の一員を重く担われるのがより適切ではないかと別解を考えてみた次第である。
皇室の問題にこの所触れてきたので、ついでに言及しておくが、今風とはいえ、「美智子皇后」という表現には些か抵抗を常々感じている。陛下という表現さえ直接「天子」と言うのを避ける用法なのである。一般人から皇族になられているとはいえ、皇后の諱をあからさまに用いている感覚には馴染めない。名を呼ぶことで親しさを表そうとしているとしても、それは過度に西欧の風習に馴染みすぎているように思う。
皇室に篤い尊崇を抱き、皇室を熱烈に尊重している人でも、皇室を尊崇した記事を載せるメディアも含めて、諱を平然と用いているのは時代の風気と言ってしまえば、それまでだが、少し場違いのように感じている。

地球温暖化と原発 [社会問題]

パリ協定の批准締結が遅れて、いろいろな問題点が報ぜられている。そのことは暫く措くとして、地球温暖化防止に原子力発電が一つの有力な手段だと言われたりしている。本当にそうなのだろうか。科学的データとか実見に基づくものではないが、次のような事実を知ると、原発が二酸化炭素を発生させないクリーンエネルギーであるかどうか、疑念を持たざるを得ない。
日本の原発は海岸沿いに設置されている。そして冷却水はそのまま海に放出されているのである。放出された冷却水は高温化した水となって、周囲の海水温を高温化させて生態系を変化させている。つまりそれまでいなかった海水温の高い地域に棲む魚類などが出現していたというのである。ところが、福島原発の大惨事をうけて、全国の全原発が運転停止したことで、冷却水を海に放出することがなくなった結果、各地で元いた魚類等が戻って来たという事実の報告である。
日本に於ける原発の立地条件から推すに、原発稼働に伴って放出される冷却水が高温化して海水温を押し上げていることは疑えない。どの程度の範囲までその高温化した海水が広がって、影響を及ぼしているのかは分からないが、生態系を変えるほどなのだから、相当な範囲で影響を及ぼしていることは間違いないだろう。
海外の原発の冷却水がどのような状態になっているのかは不案内であるが、日本の原発は、化石燃料を使った火力発電などよりは程度の割合は少ないとしても地球温暖化に荷担していることは間違いないだろう。
パリ協定締結遅れで生ずる我が国の不利な問題が指摘されているが、それ以上に原発稼働にエネルギー政策を転換推進することが孕む問題はパリ協定や今後の温暖化防止の国際的協定の改変の過程で問題視されるだろう。、放射能汚染の問題以上に日常的な事であるからである。そして世界の原発推進は地球温暖化の観点からも近い将来問題とされるに違いない。勿論絶対的な技術開発がなされ、温暖化に荷担しない原発が作られるようになり、放射能汚染の危険もない原発が作られるならば、別の話になるが。