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日本軽視はともかく、五輪軽視か [スポーツ]

スイス1部ヤングボーイズが、故障者が出たチーム事情からFW久保裕也(22)のリオ五輪派遣を拒否する声明を出したことを受け、日本協会の田嶋幸三会長(58)は「開幕1週間を切ったところで出さないというのは、あまりにも日本、五輪を軽視している」と不快感を示した。招集に強制力はないため、霜田ナショナルチームダイレクターをスイスに派遣して交渉を続ける。 (スポニチアネックス)
このような発言を目にする度に、アメリカの意向を受けて、モスクワオリンピック不参加を決めた日本の五輪関係者の思想を思い出す。
モスクワオリンピックには、サッカーは出場する資格はなかったと思うが、田嶋氏は、メダル候補として錬磨してきていた柔道やレスリングの選手が涙ながらに参加を懇願していた気持ちに思いを致すことである。
久保選手が所属するヤングボーイズの拒否の方が、日本のモスクワオリンピック不参加決定よりも余程正当性があるだろう。日本のサッカーチームが参加できないのではない。
久保選手をどうしても出場させたいのであれば、久保選手に所属チームから自由契約させたらいいのである。その違約金は協会が支払えばよいだろう。アメリカに追従して、日本はモスクワを軽視し五輪を軽視していた歴史を持っているのである。
オリンピックは決して神聖不可侵なものではない、ということを肝に銘じて参加すべきであるし、オリンピックの歴史を知って発言対処すべきであろう。
田嶋氏だって選手として活躍していた時代があったのだから、スポーツ選手全体のことを視野にいれることを忘れてはいけない。
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女の婦人と今の現状 [言葉]

言葉を事としているアナウンサーなどが、よく使う言葉として、「今の現状」という用法がある。いつもこれを聞くと中学生時代に友人らと面白おかしく「女の婦人」という表現のおかしさを話し合ったことを思い出す。
言うまでもなく、現状とは、現在の状況のことである。
「今」と「現在」の間にどれだけの差異があるのかは難しい問題であろうが、今と現在とは同義として見なすのが普通だろうから、「今の現状」というのは、「女の婦人」と類比する誤用だと言ってよいだろう。
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死刑廃止思想と犯人の射殺 [理念]

アムネスティは、世界の死刑廃止論を主導し、死刑制度を存続させている多くの國を批判している。個人の殺人行為は厳しく処断されるのに、国家権力が殺人をすることの不当性を縷々説いている。殺人犯にも基本的人権を固有するという理念が語られている。フランスでも死刑廃止が制度化している。米国では州によっては死刑制度を廃止している所もある。
ところが、最近頻発するテロの実行犯については、自爆テロの場合はさておいて、有無を言わせず射殺される。日本では、凶悪犯に対しても警官がピストルを発砲しても、その正当性が色々問題にされる。余程のことがない限り犯人を射殺することはない。浅間山荘事件の時や、寸又峡事件の遠きに及ばなくとも、近時の人質を取った立てこもりに対しても、説得をしつつ、犯人を射殺することは先ずない、と言ってよい。被害者の人命を最優先しつつ、犯人確保を計られている。
欧羅巴や米国などで凶悪犯を即刻射殺するのは、裁判にかけて、動機などの解明をすることもなく、即刻死刑を執行しているのと同じであろう。基本的人権の圧倒的抹殺である。
アムネスティ活動の文言を精緻に読んで理解している訳ではないので、誤解があるかも知れないが、犯人射殺に対する見解は見て取れない。
銃が比較的容易に手に入る社会とそうでない社会とでは事情は異なる点もあろうが、人権思想、法の裁きを受ける権利、犯行の経緯などの解明を含めて、凶悪犯の即時射殺の思想と死刑廃止論との隔たりをどう埋めたらいいのか。西洋の人権思想の根源的意味とアジア的、殊に日本的処刑観のどちらが人権を重視しているか懐疑的になる。
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パラリンピックと器具開発の技術力(付記) [スポーツ]

ロシアが組織的なドーピング問題で五輪への陸上競技の参加が閉ざされようとしている。
スポーツ界で横行する肉体改造のためのドーピングの汚染が尋常でないことを伺わせる。このドーピングが新薬の開発などに寄与しているのかどうかは不案内であるが、パラリンピックで装着する選手の義足や車椅子などの改良改善はテレビなどで知る限り相当なレベルに達している。運動器具メーカーや町の工場などでも最新の技術による機器や器具を提供して選手の競技能力の上達に貢献している。
オリンピックでも水泳や陸上競技の着衣その他の開発競争が記録向上と一体になっていることは周知の事実である。
「裸足のアベベ」などは遠い遠い昔話でしかなくなっている。裸足でマラソンを制するようなことは夢の夢の話である。高地トレーニングなどで肉体を極限状態に置いて競技に臨むのが普通のことになっている。
もともとスポーツというのは金と時間に余裕がなければできないものである。貧しい家庭に育っても特別な才能をもっていると、それ相応の援助が為されてその力量が開花する場合も多い。
自己の肉体を改造するための薬物の使用はルール違反で、器具や着衣の改善開発はルール違反にならないというのも些か偏った対応のように思う。肉体の改造の方が手っ取り早いというわけでもないと思うが…
練習による肉体の強化よる競技力の向上よりも、器具や機器の開発力の優劣が選手の競技力の優劣に反映しているとも言えるかも知れない。
このような実態を踏まえると、オリンピックよりもパラリンピックの方が不平等な競技大会のように思えてならない。その國の経済力や技術水準の反映の仕方がより露骨に表れるからである。
リオの町では五輪開催のために諸物価が高騰して庶民は、早く終わって欲しいと云う声が発せられている。メダルの獲得数を争うのも選手にとっては日頃の研鑽の成果を問う上で大切であろうが、そうした犠牲の上に五輪開催が成り立っていることを等閑視すべきでなかろう。
東京オリンピックも経費増大が云々されている。都知事候補者の中に、オリンピック開催返上を訴える人の声が聞こえてこないのもうら寂しいことである。それだけを公約に掲げて立候補すれば、都政の問題点もあぶり出され、相当な票を獲得でき、都民の五輪開催に対する意向も把握できるだろうと思うが、酔狂な問題意識なのかも知れない。
(付記)東京五輪の予算は、膨れあがる懼れ多大で、関係者からは2兆とも3兆とも指摘されている、と産経新聞が報じている。招致するときは、コンパクトな大会にすると言って、無責任に決まるととんでもない資金を求める常套手段なのだろう。
某メダリストが、スポーツの価値を「高潔性と平等にある」とご託を並べていたが、理念を掲げる前に、裏金まで使って招致した東京五輪開催の招致に力を貸した不明を恥じることであろう。

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都知事選での鳥越候補への風当たり [政治]

誰だったかは忘れたが、候補者は凡て健康診断書を選挙管理委員会へ提出させるべきとの趣旨の発言している。特に健康問題に不安を抱えている場合は、有権者は投票の判断基準の一つになるのだから、その指摘は正しいように思う。いくら都知事が週に一回か二回の登庁で勤まる仕事だとしても。
一般に企業でも公的機関でも受験するに当たっては公的医療機関での健康診断書を提出することが応募資格要件の一つである。
都知事に限らず、国会議員や地方議会議員の立候補者には健康診断書の提出を求めることがあってもいいかもしれない。
健康問題以外でも、鳥越候補に対しては、過去の醜聞が取り上げられたり、その対応への姿勢に非難が浴びせられたり、と所謂野党統一候補への中傷や批判が喧しい。自民党の分裂選挙もあって、危機感の表れなのかもしれないが、政権与党寄りのマスメディアも旗幟鮮明にしている感をうける。
イギリスのように、選挙でも何でも対象にする賭屋がいれば、面白いオッズになるのではないかと思うが、公的機関以外は胴元になれないのが日本の法的実情だから、赤字で悩んでいる地方自治体は、火事と喧嘩が江戸の名物と言うことにちなんで、江戸の喧嘩を対象にした賭をしてみるのも一興でないかと思う。投票率の向上にも資するのではなかろうか。投票する人物と賭ける候補者が異なることもあるだろう。サッカーのトトカルチョよりは余程身近な賭として面白いのではなかろうか。
治めるという行為は、治める者と治められる者とがあって成り立つ。さすれば、治められる者が少しばかり面白がって治める者が誰になるのかを賭けの対象にしてみる、というのも決して不謹慎なことではないだろう。否、権力の相対化に資すること多大なように思う。権力の相対化に筆舌を尽くしていた人物が支配の側に回ろうとする選択は、必然的に相対化の対象にならざるを得ない選択と同意なのだという認識があるのかどうかを問うのが根本的な問題であるように思われる。

ところで選挙に立候補すれば、即公人と同等の扱いをされるのも興味深い問題である。
議員や自治体の首長に選ばれその地位に就任するまでは、私人のようにも思えるが、選挙公報に自己の政治的信条や主義を主張した時点で公人になるのであろうか。
プロ野球で言えば、支配下登録されていない選手の状態であろうが、一定の年俸を得て球団に拘束されてもいるという点で類比的にいえば、公人に準ずる扱いを受けるのは当然かも知れない。
立候補者には一定の使用できる葉書やポスターなどの割り当てがあるようだが、供託金を納める時点で公人になるのであろうか。
突如立候補を取りやめた時点で、醜聞流布の扱いはどうなるのであろうか。言論の自由や個人情報やプライバシーの問題とも絡めると興味深いテーマである。


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阪神・鳥谷選手のプレー [プロ野球]

守備でも記録上は失策として残らなくてもミスが出た。2回1死一塁では鈴木、5回1死一塁ではルナに許した2度の二盗。いずれも梅野からの送球を捕れずに窮地が拡大。失点に結び付いただけに金本監督からも苦言が漏れた。

 「(4許盗塁のうち)2つアウトや。なぜ、あれをスルーするのか。気の緩みなのか、目とかの影響があるのか分からないけど…。そこからの2点は痛い。両方ともアウトのタイミングだっただけにね」
報道陣から「多少、走者が目に入ったのか?」と問われた本人は「多少というか…。はい」とだけ答えた。待望の適時打は出ても攻守両面で本来の姿にはまだ遠い。(スポニチアネックス)
今年のプロ野球に目立つのは、守備の破綻が勝敗の帰趨を決していることである。セリーグでは阪神やヤクルト、パリーグでは西武が守備のミスで勝てる試合を失っている。
殊に名手と言われる鳥谷選手の数々の凡ミスは監督ならずとも嘆息せざるを得ない。昨日の捕手からの送球を受け損なったのは尋常ではない。
どんなスポーツでもそうだが、プロ野球とて、時間差にすると、100分の一秒を争う所でプレーが営まれている。その点を考えると、金本監督がいう「目とかの影響があるのか分からないけど…」という指摘が的を射ているのではないかと思う。つまり動体視力がプロ野球選手として微妙に衰えて来ていて、今まで普通に出来たプレーが出来なくなっている、つまり100分の一秒の対応が出来なくなっているのではないかと推測している。金本監督も鳥谷選手に視力検査を進めるのが先決のように思う。
ついでに言えば、内野手のゴロ捕球に対する一歩の出足がなべて遅い。人工芝の影響なのかも知れないが、少しでも前に出てゴロを捕球するという基本的な姿勢に欠ける点があるように思う。
また、一塁手の野手からの送球に対する足の運び方が逆足の場合を屡々見受ける。
送球の来る方が右側なら右足を前に出し、左側の送球なら左足を前に出す方が100分の一秒の争いに勝てるのが道理なのだから、そうした基本的な守備動作を怠っている一塁手が目につく。塁上に走者がいる場合にはまたそれなりの対応があるのだろうが…
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給付奨学金制度充実の前に(付記) [経済]

既に記したことであるが、学生支援機構は利子付き奨学金について、サラ金並みの取り立て(回収)をしてその金利収入は相当な額に上るという。マイナス金利下で3%の金利を強いるのは高利貸しと変わらない。
消費増税延期を表明したにも拘わらず、低所得者に対して30000円の給付金だけは支給されている。
こうした中で、ヘリコプターマネーという財政手法がとられようとしている。バーナンキ氏を招いてその見解を安倍首相が聞いたのもその布石だという説もある。証券会社などのアナリストなどは、アベノミクス導入時の株価上昇に味を占めて、うまくやらないと副作用が大きいと注意を喚起してアリバイ証明をしながら、その導入を期待している節が読める。
その中で、具体的な手の問題は、別にして、既に民間金融機関を含めて有利子の奨学金受給者に対しての対策は全く問題にされない。日銀が国債やETFを購入するように、一括して利息分を買い入れれば、返済に苦しむ奨学金利用者支援の一助になるだけでなく、そのマネーが消費に波及するのではないかと愚考する。返済に苦しんでいる奨学金利用者は就職氷河期に大学を出て、非正規やアルバイトで糊口を凌いでいる人も多いと思う。徳政令になること間違いない。
民進党なども軽々に消費増税延期に賛同して、アベノミクスの破綻を言い募っただけで、上記のような具体的な問題すら提起することが出来なかった。争点を取り違えていたという評者もいるように、生活に密着した感覚が欠如していたのが、今回の選挙結果なのだと思われる。
(付記)返済滞納者には、保証人に一括返済を過酷に求めていて、父兄などの連帯保証人までがこの奨学金返済地獄に陥っているという。何とも酷い教育政策である。

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森会長の発想と武装集団の発想 [政治権力とスポーツ]

脱出した人たちによると、人質は武装集団にイスラム教の聖典コーランを暗唱させられ、できない人が襲われたという。(毎日新聞)
「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」。東京・代々木の体育館で3日にあったリオデジャネイロ五輪の代表選手団の壮行会で、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が来賓のあいさつでそう述べた。(朝日新聞デジタル)
森会長も選手に向かって、この程度のある意味では失礼な要求を出す前に、東京五輪招致で費消した招致費用の明細を明確にJOC会長に出すように深刻に言うべきである。また、森会長はモスクワオリンピックの不参加問題ではどのような立場に立っていたのであろうか。代表選手団長はそのことを質してみることである。
森会長は代表選手一人一人に国歌を歌えるか否かをテストでもするのであろうか。歌えない選手は代表から外すのであろうか。この発言に対して一人くらい抗議する選手が出て来てもよいように思うが。「森テロ」の攻撃の標的にされないように、必死になって「君が代」を暗唱するのであろうか。そもそも森会長は君が代の本来の意味が分かっているのであろうか。それにあのメロディーは戦いを鼓舞する曲ではないのであるから、戦意も穏やかになるのではなかろうか。何よりも、君が代を唱うためには優勝しなければならぬ。テストをするなら、金メダル確実と目される選手だけを対象にしてテストでもするとよい。標準記録をやっと達成して代表になった選手にしてみれば、君が代を暗唱する時間を惜しんで、練習に励みたいのではなかろうか。
大相撲の千秋楽には、君が代を唱われていて、子供が君が代を大相撲の歌だと言うような挿話が語られている内に、プロ野球界でも試合前に国家(君が代)を唱和させて観衆に起立まで求めるようになって、今でも続いている。当時、国家主義盛んな戦前でも、スポーツイベントの前に君が代を唱わすようなことはなかったと言われたものである。
今回の国政選挙は、真の争点隠しのために、経済問題を第一にしてアベノミクスの成否を野党なども問題にし、あるいは護憲問題に焦点を当てているが、森会長の発言に端的に表れているように、自由と人権を守るためか否かを争点にするのが最も分かり易いと思うのだが、そうした争点の集約化ができていな所に野党共闘の落差があると思っている。
自由は一度失うとそれを取り戻すためには大変なエネルギーがいるのである。その前に自由を蔑ろにしていると自由平等博愛を理念とする欧米的価値観の世界からは見捨てられていくことを懼れる。
ただでさえ人口減少という「国力」の脆弱化の中で、中国程の巨大市場を持たない日本が世界第三位の経済大国の地位を失うのもそれほど遠くないかもしれない。
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