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上田利治氏の訃報を読んで [プロ野球]

阪急の黄金時代の礎は西本監督の努力が大きかったのだろうが、上田氏がそれを見事に開花させた。
思い出すのは、阪急の黄金時代、まだ阪急と阪神が電鉄会社として資本統合もする前の時代である。
シーズンの開幕を控えた前日かその前日だったと記憶するが、千里阪急ホテルのロビーで上田監督、山田久志投手と福本豊選手の三人が揃っているのを偶然見かけた。開幕を目前にしてシーズンにどう臨むかを話し合うために、投打の主力選手を呼んだのだろうと推測したことがあった。ネクタイを締め背広姿であったが、生きのいい独特の声とスタイルで上田氏だと分かって、シーズ開幕を実感させたことを思い出す。
上田氏といえば、日本シリーズのヤクルト戦で大杉選手の本塁打を巡って長時間の抗議をしたことが必ず語られる。テレビで見ていて、阪急を応援していたが、しつこいという感想をもった。
当時は審判の権威もまだ充分確立していなかったので、この長時間の中断は、ある意味ではファン無視の抗議でもあった。対戦相手の広岡監督が彼独特の言い方で「あれはホームランですよ」と冷ややかに言い放っていた声も何故か耳に残っている。
上田氏の訃報を知って、広岡氏は、野球界のために何かの提言をする前に亡くなったことを悼む言葉を発していた。広岡氏らしい弔意の表現だとも思ったが、この広岡氏の言葉を読んで、上田氏が大所高所から野球界に対しての発言をしなかったのは、あの長時間の抗議が彼の心の奥底に澱んでいたからではないかと推察したりしている。
上田氏といえば、どこかの監督時代に家族の一員が週刊誌沙汰になるような問題に巻き込まれていて、問題視される前に公言して火種を未然に防ぐ手際の良さも備えていたようなこともあった。
現役の選手としては、何の記録も残さず、記憶にも残らず、三年ほどで現役引退した一方、指導者としての輝かしい成果を残していて、名選手必ずしも名監督ならずの逆のあり方を示した点で球史に名を留めた異彩であったといえる。
プロ野球も八十年の歴史を刻んで、鬼籍に入った名選手も数多くなり、ゴーストブレーブスとかゴーストタイガースとかが結成できるほどになってしまった。
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